確かにキャストは豪華だ。戦前の東京の町のセットもすごい。だが、肝心の「思想」がない。
映画の中で、青年将校たちが命をかけて決起し、そして「昭和維新」に失敗していく過程で思い起こすのは自分の妻と家族のことばかりだ。
投降命令が出た時も、またラストで処刑される際に映し出される遺書の内容も、彼らが「国体」以上に思慕するのはみな自分の「家族」だ。
将校たちは、なぜ、あるいは何のための決起したのか。その思想的背景は映画の冒頭で短く語られるだけで、その後、映画のテーマとしては後景に退けられる。
もし、「家族愛」の物語を描きたかったのならば、「2・26」というこの題材はふさわしくない。「思想」なき「2・26」事件は単なる「戦争映画」の変形にすぎない。そして、映画が「思想」を描くことができないならば、映画は決して「歴史」を描くことも出来ないだろう。
製作者たちは、この映画を作るにあたり、きちんと事件の思想的背景を勉強したのだろうか。多分、していないだろう。そのことは、やたらと「形式美」を重視した演出と、そして何のテーマ性も感じられない無味乾燥なタイトルのつけ方に象徴されている。
「美学」ではなく、青年将校たちを突き動かす「思想」の具現化こそが、「2・26」事件を扱った映画には必要だ。
映画としてのフィクションが必要ならば、そのような「思想」を描くうえにおいてこそ必要だと思う。