内容紹介
40年間2000社をの会社再生に東奔西走してきた社長が、気づいたことを書き留めてきた200冊のノート。
思いついた仕事のコツやフォーマット、組織の良し悪し、リーダーになれる人となれない人の違い、など日々「おやっ」と思ったことのメモです。
本書はその膨大なノートから、すぐに実践して役に立つ仕事術を厳選。「結果の出せる社員」「実力あるリーダー」に生まれ変われるための至言集です!
思いついた仕事のコツやフォーマット、組織の良し悪し、リーダーになれる人となれない人の違い、など日々「おやっ」と思ったことのメモです。
本書はその膨大なノートから、すぐに実践して役に立つ仕事術を厳選。「結果の出せる社員」「実力あるリーダー」に生まれ変われるための至言集です!
内容(「BOOK」データベースより)
仕事で「おやっ!」と思ったことを、27歳の時から書き始め、社長になってからも書き続けたOYATTO NOTE(おやっとノート)。そのなかから、とくに実践してすぐ仕事に役立つ142のキーワードを公開。
著者からのコメント
すこし長くなりますが、私がノートを書くようになったきっかけをお話しようと思います。 私は24歳のとき、ある方が家族同様に信頼していた田原さんという人のカバン持ちとして、名古屋の赤字会社の再生などに立ち会うという貴重な経験をしました。
ある方とは、OA機器メーカーであるリコーや、銀座4丁目交差点にガラス張りの丸いビルをつくったことで有名な、リコー三愛グループの総帥・市村清さんです。
その市村さんは、ソニーの盛田昭夫さんや東急の五島昇さんなど、当時の多くの若手経営者や文化人から、「経営の神様」として仰がれ、その集まりは、「市村学校」とも呼ばれていました。
そのころです。田原さんから、
「これからはマーケティングの勉強をしておいたほうがいいよ。モノは作れても、売れなければ倒産するからな」
といわれ、その勉強を始めました。わたしが27歳のときです。十條製紙とグローバル企業のキンバリー・クラーク社が、合弁会社の十條キンバリーを設立。日本ではじめてクリネックスというティッシュペーパーを発売することになり、今でいうスカウトという形でマーケティング担当として呼ばれたのです。
そのグローバル企業の世界観、プロの仕事の進め方のすごさに当時はカルチャーショックを覚え、これは忘れずにメモしなければと、仕事に大切なことを思わずノートに書き始めたのがきっかけです。
内容については千差万別ですが、おもに思いついた仕事のコツや仕事のフォーマット、組織の良し悪し、リーダーになれる人となれない人の違いなど、日々「おやっ!」と思ったことを書きとめ、『OYATTO NOTE』(おやっとノート)と名づけました。
ですから私はこのノートを27歳から書き始め、役員や社長をしながら2000社あまりの会社再生をしてきたその後の40年間、つねに自分の気づきをメモしているのです。
その数は200冊くらい書いてきたと思います。しかしボロボロになったのもあり、要点を抜き出してパソコンに入れた後、多くを処分しました。いま、私の机の上には50冊ほどのノートがあります。色やサイズはまちまちです。
私はこのノートを書くという習慣によって、磨かれたことがかなりあり、多くの知的な財産を得たように思います。
まず、営業やプレゼン、社内の会議で引用できるネタが豊富になりました。メモしただけでなく、空いた時間に分析しておくので、付け焼き刃でなく、自分なりに咀嚼した説得力ある会話ができるわけです。
つぎに、判断のスピードが格段に上がったこと。まったく仕事と関係ない事象も、因果関係を分析するクセをつけておくと、「あ、これはあの過去のパターンと同じだ」
と類推する脳の回路がつくられたようです。それによって戦略策定力や計画立案力が飛躍的にアップしました。
この「おやっとノート」術は簡単で、本当に役に立ちますので、ぜひあなたにも実践していただきたいと思います。この習慣で多くの得をしたことはあっても、ソンしたことは一度もありません。
いま私の事務所には、私の本を読まれた社長や部長・課長はもちろんのこと、20歳代の若いビジネスマンも多く相談にこられます。ときには数人で勉強会をして議論したりすることもあります。そんな会合で、このノートを参考にしながらお話ししていたら、そこに出席していたある編集者の目に留まり、「この内容はいまのような不透明な時代に、ビジネスマンにとって仕事術や生き方の参考になりますよ」
と本にすることを勧められました。今回そのなかから、すぐに実践して役に立つ仕事術を中心にまとめたものが本書です。
これから一時的に景気は底を打った感があっても、私は、さらに10年は激動の厳しい時代が続くと予測しています。日本の経済環境を考えてみると、少子高齢化やグローバル化による空洞化など、難問は山積です。
こんな時代でも、力強くしなやかに生き抜き、自分の家族を守り、自分の組織を守り、周りの人たちからも信頼され、喜ばれるような働き方をしたいものですね。
そのためには、プロフェッショナルといわれるための基本を身につけていただければと願っています。
本書がその一助になれば、最高に幸せです。
ある方とは、OA機器メーカーであるリコーや、銀座4丁目交差点にガラス張りの丸いビルをつくったことで有名な、リコー三愛グループの総帥・市村清さんです。
その市村さんは、ソニーの盛田昭夫さんや東急の五島昇さんなど、当時の多くの若手経営者や文化人から、「経営の神様」として仰がれ、その集まりは、「市村学校」とも呼ばれていました。
そのころです。田原さんから、
「これからはマーケティングの勉強をしておいたほうがいいよ。モノは作れても、売れなければ倒産するからな」
といわれ、その勉強を始めました。わたしが27歳のときです。十條製紙とグローバル企業のキンバリー・クラーク社が、合弁会社の十條キンバリーを設立。日本ではじめてクリネックスというティッシュペーパーを発売することになり、今でいうスカウトという形でマーケティング担当として呼ばれたのです。
そのグローバル企業の世界観、プロの仕事の進め方のすごさに当時はカルチャーショックを覚え、これは忘れずにメモしなければと、仕事に大切なことを思わずノートに書き始めたのがきっかけです。
内容については千差万別ですが、おもに思いついた仕事のコツや仕事のフォーマット、組織の良し悪し、リーダーになれる人となれない人の違いなど、日々「おやっ!」と思ったことを書きとめ、『OYATTO NOTE』(おやっとノート)と名づけました。
ですから私はこのノートを27歳から書き始め、役員や社長をしながら2000社あまりの会社再生をしてきたその後の40年間、つねに自分の気づきをメモしているのです。
その数は200冊くらい書いてきたと思います。しかしボロボロになったのもあり、要点を抜き出してパソコンに入れた後、多くを処分しました。いま、私の机の上には50冊ほどのノートがあります。色やサイズはまちまちです。
私はこのノートを書くという習慣によって、磨かれたことがかなりあり、多くの知的な財産を得たように思います。
まず、営業やプレゼン、社内の会議で引用できるネタが豊富になりました。メモしただけでなく、空いた時間に分析しておくので、付け焼き刃でなく、自分なりに咀嚼した説得力ある会話ができるわけです。
つぎに、判断のスピードが格段に上がったこと。まったく仕事と関係ない事象も、因果関係を分析するクセをつけておくと、「あ、これはあの過去のパターンと同じだ」
と類推する脳の回路がつくられたようです。それによって戦略策定力や計画立案力が飛躍的にアップしました。
この「おやっとノート」術は簡単で、本当に役に立ちますので、ぜひあなたにも実践していただきたいと思います。この習慣で多くの得をしたことはあっても、ソンしたことは一度もありません。
いま私の事務所には、私の本を読まれた社長や部長・課長はもちろんのこと、20歳代の若いビジネスマンも多く相談にこられます。ときには数人で勉強会をして議論したりすることもあります。そんな会合で、このノートを参考にしながらお話ししていたら、そこに出席していたある編集者の目に留まり、「この内容はいまのような不透明な時代に、ビジネスマンにとって仕事術や生き方の参考になりますよ」
と本にすることを勧められました。今回そのなかから、すぐに実践して役に立つ仕事術を中心にまとめたものが本書です。
これから一時的に景気は底を打った感があっても、私は、さらに10年は激動の厳しい時代が続くと予測しています。日本の経済環境を考えてみると、少子高齢化やグローバル化による空洞化など、難問は山積です。
こんな時代でも、力強くしなやかに生き抜き、自分の家族を守り、自分の組織を守り、周りの人たちからも信頼され、喜ばれるような働き方をしたいものですね。
そのためには、プロフェッショナルといわれるための基本を身につけていただければと願っています。
本書がその一助になれば、最高に幸せです。
著者について
1939年千葉県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックスジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。
2000年、株式会社ニコンと仏エシロールの代表取締役。50億円もの赤字を抱えていた同社を1年目で黒字へ、2年目で無借金経営に変貌させた経営手段は高く評価されている。
これまでに2000社を超える企業の再生事業に参画し、赤字会社の大半を建て直す。そこで体得した知恵、有益な仕事術、人の動き、組織運営、生き残り術など、そのエッセンスを27歳のときから書き始めた実践的な「仕事のノート(おやっとノート)」に書き出し分析。そのノートに記載された数々のノウハウを、現在は会社力研究所代表、そして国際ビジネスコンサルタントとして、赤字に陥った多くの経営者を救済するために役立てている。
2000年、株式会社ニコンと仏エシロールの代表取締役。50億円もの赤字を抱えていた同社を1年目で黒字へ、2年目で無借金経営に変貌させた経営手段は高く評価されている。
これまでに2000社を超える企業の再生事業に参画し、赤字会社の大半を建て直す。そこで体得した知恵、有益な仕事術、人の動き、組織運営、生き残り術など、そのエッセンスを27歳のときから書き始めた実践的な「仕事のノート(おやっとノート)」に書き出し分析。そのノートに記載された数々のノウハウを、現在は会社力研究所代表、そして国際ビジネスコンサルタントとして、赤字に陥った多くの経営者を救済するために役立てている。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
長谷川 和廣
1939年千葉県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックスジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。2000年、(株)ニコンと仏エシロール社の合弁会社(株)ニコン・エシロールの代表取締役。50億円もの赤字を抱えていた同社を1年目で黒字へ、2年目で無借金経営に変貌させた経営手腕は高く評価されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1939年千葉県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックスジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。2000年、(株)ニコンと仏エシロール社の合弁会社(株)ニコン・エシロールの代表取締役。50億円もの赤字を抱えていた同社を1年目で黒字へ、2年目で無借金経営に変貌させた経営手腕は高く評価されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)