本書は2ちゃんねるの誕生(1999年)から急成長、そして閉鎖騒ぎ(2000年)などの過程を追いつつ、その実態と社会的意味を分析する。また、管理人「ひろゆき」(西村博之)へのロングインタビュー、および彼と田原総一朗、宮台真司ら4人の識者との対話がもう1つの柱となっている。ひろゆきの人物像がこれほどまとまった形で掘り下げられるのは、初めてのことである。
2ちゃんねるを情報化社会の縮図などと決めつけるのはたやすい。しかし、そうした通り一遍の解釈を笑い飛ばす不敵さがここにはある。ユーザーには情報の価値を判別することが求められ、根拠のない憶測を述べる者やそれに惑わされる者は、あっという間にたたかれて姿を消す。本書で繰り返し出てくる言葉の1つに「メディアリテラシー」がある。情報を読み解く力、とい ったような意味だが、2ちゃんねるこそ、それを体得する場なのだという。この主張が正しいかどう かは、ひとりひとりのユーザーが決めることだろう。実際に参加し、自ら発信源となる行為が、情報とのかかわり方を模索する何よりの糸口になるのだから。(大滝浩太郎) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。
実際、「2ちゃんねる」が立ち上がった時には、「やられたっ」と思った。ネットの匿名性とその危険性については、インターネット以前のパソコン通信の時代からさまざまな立場からの議論が続いており、評者はむしろ「匿名を廃して実名で発言するべきでは」と考えていたからだ。
ところが「2ちゃんねる」は、匿名によるなんでもありの世界こそが、本音レベルでのネットユーザーの意志を反映し、さらにはその無秩序さのなかから自発的に秩序が発生することを証明してしまった。本書の前半では、2ちゃんねるの誕生と、多種多様なスキャンダルを発生しつつ巨大化する様子が描かれる。まさに自己組織化の実例というほかない。
後半の対談では、「ひろゆき」氏のいわくいいがたいパーソナリティが会話の端々から浮かび上がってくる。無責任なようでいて、古風な器量の大きさを感じさせる彼の性格こそが「2ちゃんねる」成立の鍵であることが見えてくるのだ。社会学者の宮台真司氏との対談では、個人情報保護法への反対を説く宮台氏が、ぬるぬると質問を続ける「ひろゆき」氏にいつのまにか議論の中身で押されていってしまうのである。
「2ちゃんねる」を流言飛語が飛び交う無法地帯だと思っている人と、そもそも「2ちゃんねる」をよく知らない人は必読だ。良くも悪くも、この匿名巨大掲示板はコミュニティとしてのインターネットの「今」を、本音のレベルで反映しているのだから。
( 松浦 晋也=ノンフィクションライター)
(日経パソコン 2002/02/04 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
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書くことが書ききれなかったと言う感じに、ギュウっと詰め込まれた
一冊です。
2ch好きな人は★+1つ。そうで無い人は-1つ。
ところが既存メディアを通して世間の耳目を集めるようになり、およそ三百万人もの人間が訪れるようになると、暗黙のルールは無視され、初期ユーザーたちは興味を失って次第にそこから去っていった。彼らはあとから来た利用者の好き勝手な振る舞いに当惑しつつも、そうした負の面だけを見てネット掲示板の存在そのものを危険視する連中に反発を感じずにはいられなかった。そのような複雑な思いは、あとがきで2ちゃんねるの切込隊長なる人物の「もはやネットユーザーの望むと望まざるとに関わらず、ネットコミュニティは確実に現実社会とリンクし、ネットワーカーの社交場から雑踏へと変化していった」という発言からもわかるだろう。そこには「社交場」への懐古の情と、「雑踏」到来の不可避性に対する諦めが共存している。そして論理的にはかなり苦しいにも関わらず、そうした「雑踏」になんとか前向きな存在理由を与えようと苦心する様が、本書に映し出されている気がする。
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