ある日、リーランドという青年が一人の少年を刺殺してしまう。被害者はライアン、リーランドの恋人の弟で知的障害を持っていた。凶悪犯罪を犯した子供『SFK』と見なされたリーランドは逮捕後、矯正施設の教官であるパールのクラスへと編入される。
作品冒頭でリーランドに語られる友人の言葉、「人生は、断片の総和以上のものよ」。でも、それがずっと断片のままなら? リーランドはそう思った。
作中にはリーランドの過去の記憶が現在の映像と共に断片的に挟まれている。父親との静かな確執。恋人ベッキーとの記憶、そしてライアンの記憶も。
重いテーマを扱っている映画だが、映像に陰湿的な暗さは無い。映像は眩しいほどの明るさを持っている。ただ、その眩しさゆえにそれにどこか鋭さを感じさせるのは監督の意図だろう。もう一つ監督を賞賛すべき点は不安定なテーマを扱った安定した脚本だろう。それから、そこに登場する人間たちの不安定と「もろさ」、どの人間たちも一見気丈をよそおっていても確かな弱さを持っていることを描いている。それは砂の城を見ているようでもある。
リーランドが持つ繊細さ、すべての哀しみを感じる心。私が今まで今を生きる人々に足りないものだと思っていたものだった。だが、リーランドはそれを持っていたために罪を犯してしまう。それは単なる弱さなのか?
リーランドは自分の犯した罪を正当化しようとしない。彼がパールに語る自分のすべて、誰もが繰り返している罪。
そして、記憶の最後の断片でリーランドはライアンの哀しみを抱きとめ、一つの約束をする。
「世界には二つの見方がある」。この作品に感動が残るのは、そうしてリーランドから語られることが過酷ではあるが、確かな真実だからだ。私たちはそれを受け入れなければならないのかもしれない。私は受け入れたい。
『補足する点で本作の日本語化は優秀とは言えない。特に吹き替えに関しては味わいに満ちた台詞が味気ないものにされていたり(最後の台詞「約束する」が「保障する」や冒頭の「人生は、その断片の総和以上・・・」という台詞も表現する言葉を変え、浅いものにされている)、リーランドを演じる演技者の喋り口がふてぶてしさを感じさせるため、劇場で日本語吹き替え版を見た方の中には、本作に不快感を覚えたかもしれない。邦題が「16歳の合衆国」ということで若者向けに改変されたことは窺えるが、これは大人にも重要な作品だと思う。そんな方にもこの機会に俳優陣の本当の声が聞ける、「英語音声日本語字幕」で鑑賞していただきたい。その方がリーランドの繊細さも、この作品の本当の魅力も見えてくる』