タイトルを見たとき、
「ああ、難病モノね」
と思ってしまった。異常なスピードで老化していく難病があることを思い出したからだ。
だから、「ご馳走様でした」と思って観にいく予定はしていなかったのだけど、友人から「良かった」との話を聞いたので、観に行った。その友人のおかげで、その年のトップ5に入る作品を見逃さずにすんだ。
難病モノは基本的に嫌いだ。主人公やその周辺の人を殺すことで安直に泣かせようという企画が見え透いてしまうからだ。
ただ、この考えは少し改めなければなるまい。
この考えで企画された映画がバカのように拡大再生産されている国は、もしかしたら日本だけなのかもしれない。少なくとも、海を渡って日本に来るような作品には、そこまでの安直な作品は少ないかもしれない。新しい視線や、描き方というものが、最低限は含まれているのではないかと思う。
だから、少年の病気も白血病と、実にありふれた設定である。わずか10歳で死んでしまう少年の死ぬシーンで泣かせることを狙っていないので、それでいいのである。医学知識を駆使し珍しい難病を引っ張ってくることで、せめてもの差別化を図ろうとする日本映画のケレン味は、ここにはない。
この映画には、そんなケレン味は必要がない。幼くして死んでしまう子どもが、長生きしている人が気づかないでいる人生の意味や尊さに気づき、満足して死んでいくというテーマがしっかりとあるからだ。
余命12日という設定の中で、12通の手紙を神様に書くという形で、ストーリーが語られる。100歳の少年というのは、一日を10年のつもりで生きてみるという遊びの発想から来ている。
核になるのは、白血病の少年オスカーとピンクの服を着たピザ屋の女性ローズだ。
白血病で余命少ないオスカーは、入院している小児病棟の中でも特別扱いで、どんな悪戯をしても叱られない。(一緒に入院している周囲の子どもたちは奇病難病ぞろい。)そんな張り合いのなさは両親に対してもある。両親は、子どもの死と正面から向き合えず、オスカーを避けてしまうのだ。誰にもかまってもらえないオスカーは、病院にピザの配達に来たピンクずくめの女性ローズの口の悪さが面白く、彼女にだけ心を開くようになる。病院の院長(マックス・フォン・シドー!)はオスカーの心を開けるのは彼女だけと、毎日ピザを注文する代わりに、オスカーの面倒を見てくれるようお願いする。病院嫌いで病気嫌いのローズは嫌々ながらオスカーの面倒を見るようになり……というお話し。
60歳のオスカーが自分の一生を振り返ってみたり、70歳のオスカーが人生の意味を見出したりと、本当は10歳の小さな子どもが、大人のような老人のような人生を達観したようなことを語るところなど、切なさの中にも暖かい微笑が含まれている。
ローズは元女子レスラーで、リングでの戦いを人生の戦いのたとえ話に使い、オスカーに話して聞かせるという演出も、可愛らしくもバカバカしくって面白い。
オスカーの両親との心の交流を取り戻す話しとか、寓話は寓話らしく、はずせないポイントをきちんと抑えている。
オスカーの死のシーンも……、お涙頂戴の映画じゃない。