内容紹介
卓抜したブランド戦略でMBAのケーススタディにしばしば登場する超優良グローバル企業P&G。その秘密はマーケティングスキルだけではなく、戦略的な人材育成にあった!
フォーチュン誌では「社員の能力」が業種を超えて世界ランキング1位にも選ばれている。
日本人として初めて米国ヴァイスプレジデント(副社長)にまでなった和田浩子氏のキャリアは、P&G日本法人の秘書職に応募したところからスタートした。P&Gといえども当時は日本企業との合弁会社。女性社員は秘書か事務しかいなかったのだ。
「和田さん、お茶当番よ」と言われた新入社員時代。アメリカ本国の成功体験から抜け出せないCM制作やマーケティングプランで苦戦を強いられていたP&G日本法人は、日本市場からの撤退も検討していた。
そのとき登場したのが新生P&Gを象徴する新商品「ウィスパー」だった。異例のスピードでブランドマネジャーに昇格していた和田氏は、後発メーカーながらも「ウィスパー」を一躍トップブランドに育てる。さらに、「パンテーン」「ヴィダルサスーン」の立ち上げ、「パンパース」のV字回復と次々に実績をあげ、女性としてだけではなく日本人のパイオニアとして上り詰めていく。
けれど和田氏は「自分が評価を受けたポイントはすべてP&Gイズムにもとづくものであり、P&Gの人間なら誰でも持っている素質です」と言う。
P&Gイズムとは何か。常に成長を志向する「P&G型人材」とは、どのようにしてつくられるのか?
和田浩子氏の23年間のP&G生活を振り返ることで見えてきた、P&G式世界が欲しがる人材の育て方。
フォーチュン誌では「社員の能力」が業種を超えて世界ランキング1位にも選ばれている。
日本人として初めて米国ヴァイスプレジデント(副社長)にまでなった和田浩子氏のキャリアは、P&G日本法人の秘書職に応募したところからスタートした。P&Gといえども当時は日本企業との合弁会社。女性社員は秘書か事務しかいなかったのだ。
「和田さん、お茶当番よ」と言われた新入社員時代。アメリカ本国の成功体験から抜け出せないCM制作やマーケティングプランで苦戦を強いられていたP&G日本法人は、日本市場からの撤退も検討していた。
そのとき登場したのが新生P&Gを象徴する新商品「ウィスパー」だった。異例のスピードでブランドマネジャーに昇格していた和田氏は、後発メーカーながらも「ウィスパー」を一躍トップブランドに育てる。さらに、「パンテーン」「ヴィダルサスーン」の立ち上げ、「パンパース」のV字回復と次々に実績をあげ、女性としてだけではなく日本人のパイオニアとして上り詰めていく。
けれど和田氏は「自分が評価を受けたポイントはすべてP&Gイズムにもとづくものであり、P&Gの人間なら誰でも持っている素質です」と言う。
P&Gイズムとは何か。常に成長を志向する「P&G型人材」とは、どのようにしてつくられるのか?
和田浩子氏の23年間のP&G生活を振り返ることで見えてきた、P&G式世界が欲しがる人材の育て方。
内容(「BOOK」データベースより)
「従業員能力No.1企業」はどのようにして創られたのか?日本人パイオニアが明かす驚異のハイパフォーマー組織P&Gが日本市場に根づくまで。
著者について
Office WaDa代表、マーケティング&マネジメントコンサルタント、The Procter&Gamble Campany Retired Officer。
大分県生まれ。大阪外語大学英語学科卒業。1977年、P&Gサンホーム社(現P&Gジャパン)入社。女性として初めてのマネジメントキャリアとしてマーケティング部に配属。
ウィスパーを日本市場でトップブランドに育てる。
さらに新規事業のヘアケア新製品「パンテーン」「ヴィダルサスーン」を立ち上げ、「パンパース」の建て直しなどを手がけ、P&Gファー・イースト社の業績を伸ばす。
1955年当時のP&Gジャパン最大のプロフィットセンターである紙製品事業部担当のジェネラルマネジャーに昇格。
1998年日本人で初めて米プロクター・アンド・ギャンブル社のヴァイスプレジデント、コーポレートニューベンシャー・アジア担当になる。
20年以上のP&G在職中は常に日本人のパイオニアとして、組織や仕組みつくりにも尽力。2000年リタイアしたオフィサーの集まりであるGlobal Leadership Councilに最初の日本人として入会。
2001年よりダイソン日本支社代表取締役、日本トイザらス代表取締役社長兼最高業務執行責任者(COO)を経て、2004年米雑誌「フォーチュン」にてアメリカを除く世界で一番パワフルなビジネスウーマン50傑に選ばれる。
2005年Office WaDa設立。
2007年毎日新聞より「輝けビジネスウーマン‘07」の10人の一人に選ばれる。
現在はOffice WaDa代表として、マーケティングおよびマネジメント分野の豊富な経験をもとに、コンサルタントとして活動。
セミナー、講演多数。
著書に『すべては消費者のために。P&Gのマーケティングで学んだこと。』(トランスワールドジャパン)がある。
大分県生まれ。大阪外語大学英語学科卒業。1977年、P&Gサンホーム社(現P&Gジャパン)入社。女性として初めてのマネジメントキャリアとしてマーケティング部に配属。
ウィスパーを日本市場でトップブランドに育てる。
さらに新規事業のヘアケア新製品「パンテーン」「ヴィダルサスーン」を立ち上げ、「パンパース」の建て直しなどを手がけ、P&Gファー・イースト社の業績を伸ばす。
1955年当時のP&Gジャパン最大のプロフィットセンターである紙製品事業部担当のジェネラルマネジャーに昇格。
1998年日本人で初めて米プロクター・アンド・ギャンブル社のヴァイスプレジデント、コーポレートニューベンシャー・アジア担当になる。
20年以上のP&G在職中は常に日本人のパイオニアとして、組織や仕組みつくりにも尽力。2000年リタイアしたオフィサーの集まりであるGlobal Leadership Councilに最初の日本人として入会。
2001年よりダイソン日本支社代表取締役、日本トイザらス代表取締役社長兼最高業務執行責任者(COO)を経て、2004年米雑誌「フォーチュン」にてアメリカを除く世界で一番パワフルなビジネスウーマン50傑に選ばれる。
2005年Office WaDa設立。
2007年毎日新聞より「輝けビジネスウーマン‘07」の10人の一人に選ばれる。
現在はOffice WaDa代表として、マーケティングおよびマネジメント分野の豊富な経験をもとに、コンサルタントとして活動。
セミナー、講演多数。
著書に『すべては消費者のために。P&Gのマーケティングで学んだこと。』(トランスワールドジャパン)がある。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
和田 浩子
Office WaDa代表、マーケティング&マネジメントコンサルタント、The Procter&Gamble Campany Retired Officer。大分県生まれ。大阪外国語大学英語学科卒業。1977年P&Gサンホーム社(現P&Gジャパン)入社。女性として初めてのマネジメントキャリアとしてマーケティング部に配属。1995年当時のP&Gジャパン最大のプロフィットセンターである紙製品事業部担当のジェネラルマネジャーに昇格。1998年日本人で初めて米プロクター・アンド・ギャンブル社のヴァイスプレジデント、コーポレートニューベンチャー・アジア担当になる。2000年リタイアしたオフィサーの集まりであるGlobal Leadership Councilに最初の日本人として入会。2001年よりダイソン日本支社代表取締役、日本トイザらス代表取締役社長兼最高業務執行責任者(COO)を経て、2004年米雑誌「フォーチュン」にてアメリカを除く世界で一番パワフルなビジネスウーマン50傑に選ばれる。2005年Office WaDa設立。2007年毎日新聞より「輝けビジネスウーマン’07」の10人の一人に選ばれる。現在はOffice WaDa代表として、マーケティングおよびマネジメント分野の豊富な経験をもとに、コンサルタントとして活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
Office WaDa代表、マーケティング&マネジメントコンサルタント、The Procter&Gamble Campany Retired Officer。大分県生まれ。大阪外国語大学英語学科卒業。1977年P&Gサンホーム社(現P&Gジャパン)入社。女性として初めてのマネジメントキャリアとしてマーケティング部に配属。1995年当時のP&Gジャパン最大のプロフィットセンターである紙製品事業部担当のジェネラルマネジャーに昇格。1998年日本人で初めて米プロクター・アンド・ギャンブル社のヴァイスプレジデント、コーポレートニューベンチャー・アジア担当になる。2000年リタイアしたオフィサーの集まりであるGlobal Leadership Councilに最初の日本人として入会。2001年よりダイソン日本支社代表取締役、日本トイザらス代表取締役社長兼最高業務執行責任者(COO)を経て、2004年米雑誌「フォーチュン」にてアメリカを除く世界で一番パワフルなビジネスウーマン50傑に選ばれる。2005年Office WaDa設立。2007年毎日新聞より「輝けビジネスウーマン’07」の10人の一人に選ばれる。現在はOffice WaDa代表として、マーケティングおよびマネジメント分野の豊富な経験をもとに、コンサルタントとして活動(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)