誤った前提、誤った知識を幾ら積み重ねても何ら意味が無い。
本書はこの当たり前の事実を教えてくれる良書である。
もちろん、この「良書」である本書自体が、誤った前提から誤った知識を積み重ねているのだ(もちろん、多少は正しいことを語っている)。
本書において大澤真幸氏は、例えば史的イエス問題に関する近代聖書学における研究史を約200年以上無視している。つまり大澤真幸氏は200年以上に及ぶ近代聖書学の研究成果や知見を無視し、史的イエスについての自分勝手な思いつきにのみ基づき、あるいは自分勝手な思いつきに合致する(大抵は異論が多い)学説のみをつまみ食いし、その結果として自説に都合の良い史的イエス像を提示し、論をすすめる。当然ながら、大澤真幸氏によって組み立てられたこのような史的イエス像に基づく議論から読者が得られることは何もない(大澤真幸氏の史的イエス理解に納得してしまった迂闊な読者は、せめて「様式史」「編集史」という方法論がどうして生じたかを考慮されたし)。
簡単にいえば、本書は買うだけ読むだけ無駄である。