『十住毘婆沙論(新国訳大蔵経:インド撰述部12)』(瓜有津隆真校注)に比べて、本書では著者の個人的見解(これを「検討」として論じている)が強く主張されているので、注意して読む必要がある。
釈尊教法の真義が理解できつつある現代の視点で冷静に本書を読むと、<親鸞の時代という文化的背景(大乗の仏伝を正しいとする仏教文化)を前提にするならば、『十住毘婆沙論』をこのように読んだに違いない>という印象を受ける。その意味で、著者の「検討」は参考になる。
しかし、『十住毘婆沙論』に記述される釈尊教法は初歩的なレベルで微妙に異なっており、龍樹ほどの天才がこのような誤りを犯す筈が無いと考えざるを得ない。従って、この内容のサンスクリット本が発見されたとしても、釈尊の名前を語った大乗仏典と同様に、龍樹の名前を語った論典だと疑わざるを得ない。
釈尊は四沙門果の第一段階の聖者であるシュダオン(預流)になることを重視した。しかもそれは三結煩悩(身見・疑惑・戒取)を断ずれば成就するので、我々一般人でも即身成就は可能である。しかし、釈尊の四沙門果を参考にした大乗仏典の『華厳経』や『大品般若経』の十地は、部派仏教アビダルマの影響を受けたために複雑で分かりにくいものとなってしまった。
釈尊在世の時代から大乗仏教が登場する時代まで、西北インドにはイラン・アーリア人による独特な文化が興っていた。イラン・アーリア人の文化では、インド・アーリア人のウパニシャッド文化である「ウパース」(ある既知の現象的存在を、至高存在と同値であると念想すること)として知られる儀礼が行われていた。この「ウパース(念想)」が至高神の聞名称名・憶念称名に引き継がれたと推測できる。
この憶念称名は、後期大乗仏教の密教で身(印契)・口(真言)・意(観想)の三密行へと洗練された。
このことに関連して、『易行品の三乗行仏』(真野龍海著『浄土教 ― その伝統と創造2 ―』に所収)では、『十住毘婆沙論』「易行品」に「十方十仏の一として、その名号を称すれば不退を得、さらに阿弥陀等の仏名を称すれば不退を得る」とあるのは、<三乗仏(三行仏)=tri-vikrama=ヴィシュヌ神の異名>に由来するという証拠を見出して、簡潔明瞭な文証を行っている。
また、『弥勒教』(渡辺照宏著)によれば、<『スッタニパータ』第五章に登場するティッサ・メッテイヤとはマイトレーヤのことであり、それはインド・アーリア人およびイラン・アーリア人が重視した古い『ヴェーダ』の神の一人であるミトラのことである>と述べている。
こうした事情が凡夫を導く念仏として仏教に組み込まれ、龍樹の名前を語った『十住毘婆沙論』が作成された理由であるように思われてならない。