歴史愛好家は過去の記述に触れるとき、己の脳裏に鮮烈な絵を描くと思う。
人が歴史を知った時にまず一枚の強烈なイメージを抱く、そして「この人物事件を裏面から見た記述」「意外史」「経済学的見地からの評価」等々学ぶにつれ、いつしかその「絵」は色褪せたものとなっていく。
しかしこの作者はその「強烈なイメージ」を追及していると思う。
この作者の作品を愛するものはその絵を味わう為、何度も頁を反芻する事になると思う。絵画の鑑賞にリアリティやモチーフの脈絡やら理屈は要らない。唯惑溺できればいいのだ。
史実との整合?そんなものは現在を生きるものには誰にも分からない、関係ない、だから宇月原作品が好きなのだ。(引用は豊富、念の為)
今回も魅せてくれました、読後には、全山紅葉に燃える大和信貴山城の頂上に聳える天守の最上階の茶室で、松永久秀と向かい合う明智光秀、その望楼を跳ね回る金髪碧眼の果心居士が、鮮やかに蘇える。また読んじゃおう。