ナチス政権下のフランス。1942年、フランスには2万4,000人のユダヤ人が暮らしていた。
ヒトラーはそれらのユダヤ人を東に建設した絶滅収容所の移送するため、フランス政府に打診していた。
強権のナチスに恐れをなしたビシー政権は積極的に協力し、女・子供を含む1万人を超えるユダヤ人たちがある朝一斉に検挙され、
強制収容所に移送された。
街に住むユダヤ人たちは前々から自分たちに対する扱いが差別的になっていることを察知して、
逃げ出そうと考える者もいた。だが、多くの人間はつてもなく行くあてもないまま無為に時を過ごしてしまう。
やがてフランス国内の収容所からさらに東のポーランド・ソ連領にある絶滅収容所への移送が決まる。
フランスの警察は積極的に加担し、ユダヤ人たちに乱暴狼藉を働く。
あまりに酷い扱いに耐えかねて看護婦が警官に食って掛かると「仕事だ!」と居直り、
看護婦の「これのどこが仕事よ!」という叫び声が印象的だった。
東への輸送は最初は大人の男女が、子供たちは車両が不足していた関係で大人たちと引き離されて後から送られた。
貨車に乗せられた子供で戦後に生き残った人間はゼロ。収容所到着後にすぐにガス室送りになったと思われる。
生き残ったのはそうなる前に脱走に成功した僅か20名ほどのみ。
フランスは「ポーランドに比較すれば天国」は間違いだった。それでも一斉検挙から逃れたユダヤ人も一万人以上いた。
権力者の脅威から弱き人を守ろうとする「良心」はこの時代の多くの人にもあったという証拠だろう。