日経ビジネス
「帝国主義は、ブルジョワジーが資本主義の競争原理を政治の世界に持ち込むことによって起こった」とは、社会学者で哲学者でもあるハンナ・アーレントの言葉である。ドイツを代表する近・現代史家である本書の著者によれば、要するにこんなメカニズムが働いたのだという。
<倫理的衝動、責任感、使命感、そして名誉欲といった要因が競争略奪の精神と奇妙なかたちで結びついて、帝国主義を押し進めたのである。そしてこうした動機がイデオロギーとして凝縮し、「白色人種の使命」とか「世界ミッションに対するゆるぎなき信念」というかたちをとって現れたのである>
黄色人種の脅威を煽った、いわゆる黄禍論は、欧米社会のそのような時代の空気の下で発生した。破格の低賃金で働く中国人苦力クーリーたちが世界の労働市場を席巻していく構図。極東の島国日本が、熊のように巨大な帝政ロシアに勝利したという奇跡…。すでに帝国主義国家として空前の経済的繁栄を謳歌していた欧米各国は、それまで劣等民族と信じて疑わなかった黄色人種の台頭に限りない不安を抱き、自らの没落の予感と結びついて、黄禍論はやがて政治的スローガンとなっていく。
英国の歴史家、ピアソンは、いずれ白人は黄色人種に呑み込まれてしまうのではないかという悲観論に苛まれた。後に大統領になるアメリカのルーズベルトはその逆で、黄色人種を排除することは、デモクラシーが健全な本能を持っている証拠だと言い放った。
悲しいことに、黄禍論は過去の歴史の1ページではない。今日に至っても厳然として存在し続け、時に世界を動かす原動力になっているようにさえ見える。"禍"として扱われる我々の側もまた、彼らに反発し、あるいは追従したりといった、複雑で屈折した感覚から抜け出られない。
冒頭に紹介したアーレントの定義は、しかも当時以上に、現代の世界にこそピタリと当てはまっている。敢えて多くは言わないが、日本が置かれた状況、国内の情勢も、1世紀前と酷似しているとはしばしば指摘されることでもある。歴史は繰り返す。とすれば、黄禍論もまた、今風に形を変えながらではあるにせよ、再び国際政治の表舞台に登場してくることになるのではないか。
本書の原書は、1962年に出版されている。40年近い空白を経て日本の読者に届けられた本書は、民族的な怒りを単純にかきたてるようなものではない。これからの秋の夜長、知的好奇心を大いに刺激されつつ、歴史と現在を理解するのに役立てたい。
(ジャーナリスト 斎藤 貴男)
(日経ビジネス1999/10/4号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)