いつも彼の本はそうなのだが、一気に読ませてくれる。
「人間は犬に食われるほど自由だ」――このことばが印象に残った。自由を感じる瞬間、それがこのようなことばになるところに現代の日本の現実がある。筆者が描くのは、私たちの「無理」を一枚引きはがした地点からの視野である。ひらけている。目から鱗が落ちるめまいのような感覚が心地よい。
全体としては、70年代のインドでの視点から今の日本を振り返る、といった仕掛けになっている。
麻原彰晃と水俣、インドとのつながり――私たちが「関係ない」と放り出して封印したつもりのものが実は私たちの現実としっかりと繋がっていた! スクープである。そして同時にこれは、日本のジャーナリズムの絶望的な現状を白日のもとにさらす報告とも言える。
日本的な「世間」を超えた新しい世界と生き方を求めた60年代末の学生運動がどのような帰結を迎えざるをえなかったか? 私たちの負債の高の測定をきちんとやろうとしている。学生たちの運動に共感はしつつも距離をとっていた筆者によってこれが書かれたことに意義がある。
絶賛のレヴューが多い中あえて一石を投じてもよかろう。
この臨場感は筆者一流のものである。それがちょっと引っ掛かる。筆者の得たものがここでは正確にことばになっているのだろうか、という疑問である。文章を書いていると時折、ことばになる瞬間に段差が乗り越えられてしまったと感じることがある。「ことば以前のもの」が「ことば」になることを「脱皮」に喩えるなら、脱皮する以前と以後はまるで別の生き物ということだって珍しくはないのだ。脱皮後は思わず見とれてしまうほど美しいのだが、脱皮前を見たら「えーっ」と驚くほどシラケる代物かもしれない。氏に筆力があるのは確かだ。しかし、その筆力は諸刃の刃である。これはたぶん藤原新也氏に「作品」以上のものを期待しているからこそ生じる贅沢な望みなのだろう。氏に私たちが求めてしまうもの。それは「真実」であろう。
いや、敢えて言おう。彼の文章には「真実を語るぞ」と言うポーズが潜在してるーーそれが彼の文章を鼻持ちならないと感じる人の直感なのかもしれない。
にもかかわらず、この本は素晴らしい。私たちが真剣に考えなくてはならない問題がここには出されているからだ。