私は麻雀をたしなむけれど、点数計算はできない。私が生まれた頃には麻雀が大衆化されていて、「ポンジャン」で牌の絵合わせの楽しみを知り、ファミコンで初めて麻雀を経験した。本書に登場する男たちにとってアウトオブ眼中である大多数の麻雀愛好家のひとりに私も一応属するのだろう。麻雀放浪記を読むのは本書で三冊目だが、彼らにとっては生き難い世の中となった現代(昭和の話だけれど)が舞台となる。主人公は博徒として激しく自分を律している。共感できるのは、その刹那的な人生観ぐらいで、「もうちょっとアバウトでもよいじゃない」とゴマすりしたくなるけれど、それでは博徒ではなくなってしまう。自己存在の否定になるからだ。家庭を持つことをあきらめているのは、今のご時勢、ひとつの選択肢として「あり」だと思うけれど、マドンナが登場し、主人公と結ばれるけれども、あっさり女を捨て去る。恋愛小説的なプロットは初めから有り得ないのだ。アブノーマルなことに真摯に強烈に立ち向かっていく。哀れに感じる部分もあるし、感情移入できない面も多々あるが、活字から目を離すことができない。博徒が発する熱に魅せられ翻弄されているのだろう。ジャンルは異なるけれど最近毎晩「龍が如く4」を遊んでいるのだが、神室町の男たちの物語が薄っぺらに感じるほど、博徒たちの生き様は濃い。冷酷なまでに問答無用なのだ。私が属する世界とは180度異なっている。だからこそ、それを活字で読むことの愉悦。映像化されたら、「龍が如く」みたいに表層的で希薄になってしまうかも知れない。あとは「番外篇」を残すのみとなってしまった。なぜ私は寂しいのだろう。方向性は違えども、博徒たちに渇望に似た憧れを潜在的に有しているからなのだろうか。