北大路魯山人(1883~1959)に師事し、本書で「あとがき」も書かれている食物史家の平野雅章氏は、かつて一定の食材を題材に料理人たちが腕を競い合う番組の審査員をされていたが、中途で番組を降りられたことがあった。うろ覚えで申し訳ないのだが、確か「食材を無駄にしている」といったことが降板の理由であったような気がする。この話を雑誌か何かで読んだ私は、「さすが、魯山人の愛弟子」と感じ入った記憶がある。
さて、魯山人(房次郎)の“凄み”を一言で言い表すならば、本書でも得心がいくように、「料理」を「味道」という“総合芸術”の域にまで高めた、ということであろうか。そして、その基本中の基本は、「食材を活かす」ということに尽きるのではなかろうか。食材を精選吟味し、人の手や食器を加えて、その食材が本来もっている味を引き出す、それが調理すなわち料理人の技であり、“料理の極意”といえるのではなかろうか。
本書の随想などの内容は平野氏が編集されたものだが、当書を通読して感じるのは一語で言って「愛」である。薄倖不遇な時期を長く送った魯山人の事物に注ぐ「愛」…。食材を活かすことも、とどのつまりは食材への“いとおしい”という「愛」が源泉となっているような気がしてならない。「愛」があれば、一欠片の食材もないがしろにはできないはずだ。“料理の極意”とは、結局「食材に対する愛」が基根なのではなかろうか。