タイトルから、もっと広い意味の「マジックリアリズム」的な文学運動までを含むのかと思っていましたが、本書は、1920年代ドイツの新即物主義と呼ばれた短期間の美術運動をになった画家たちを論じたものです。新即物主義すなわち、ノイエ・ザハリヒカイトとは、新しいリアリズムというようなニュアンスで、シュルレアリスムとも近接しています。
ブルトンのシュルレアリスム宣言と時期が重なっています。が、私見では、シュルレアリスムに属する画家たちがもっと意識的に「仕掛け」ていったのに対し、こちらの「新即物主義」は印象派の雰囲気やあいまいさを排し、幾何学的鮮烈さとひえびえとしたリアリズムを前面に押し出そうとした感があります。
最初の「不気味なもの」の章で、種村はフロイトの論文から、キリコの手記につなげ、事物が突然見なれぬものとなってたちあらわれる「生きた死物」から、メランコリーの芸術という観念を引き出します。生き物と機械人形をホフマンの小説によって媒介しながら、新即物主義へとつなげていきますが、全編にわたって参照されているのが、ヴィーラント・シュミートの『ノイエ・ザハリヒカイトと魔術的リアリズム』です。シュミートのあげているこの運動のテーマとは、道化、関節人形、劇場、サーカス、カーニヴァルであり、好まれる手法とは、現実と真実を二重うつしにする「画中画」鏡像、球面鏡、窓。
このあたりの導入も大変魅力的で、種村はその前史(パルミジニャーノやデューラー、ピラネージ、ベックリン、フリードリヒ)をも縦横に引用しつつ、多くの画像を紹介してゆきます。
本編として論じられているレーダーシャイト、ラジヴィル、エレボー、シャート、グロスベルク、シュリンプフ、エルツェ、ヴァッカー、などの画家は、わたしにはなじみの薄いものでしたが、それだけに興味深く、シュミートのあげたテーマと手法がきっちりと例証されています。
この時代のリアリズムは、これまでのものとは違い、すでに世界との異和感を内包した「今日とここ」であり、人工照明に照らされた冥府体験なのだ、というのが種村の主張です。
数年遅れた「オランダの魔術的リアリズム」や「魔術的リアリズム・その後 アメリカ」についても最後のほうにページが割かれており、視野が広がります。
今泉文子による解説『蘇る「異様なリアリズム」』が全体を見通しよく整理してくれているのも役に立ちました。
「世界関連から切りはなされて、いきなりそこにあるもの。その魔術的輝き……事物を「形而上的妖怪的」(キリコ)空間のなかに立ち上らせるリアリズム」
紹介されている画家の中では、表紙にもなっている球面鏡のエレボー、そして機械人形を描いたヘールレなどがわたしには強烈な印象となって残りました。
美術を通じて、時代をあぶりだしてゆくスリリングな論考です。