この本の主張は実に明快である。
「現代日本の高学歴エリートは報われていない。いい大学を出たらもっと報われる社会にすべきだ。」一行で要約できてしまう。
よってこの本の紙数は、上の文章のうち前半部分についての話と、後半部分の提案に、ほとんどが割かれている。
正直、こういう本をいずれ誰かが出すのでは、と思っていたので、個人的には実にタイムリーだった。また、大半の人の反感を買うことは必至であろうこのような内容の本をあえて出した著者の勇気には、心の底から敬意を表したい。
だが、その内容についてはかなりの疑問点がつきまとう。
そもそも「高学歴エリートは報われていない」という著者の主張が本当に正しいのか、という点について、納得のいく論証がほとんどなされていないのである。
まず、一般論的な話からいくと、ある人が「自分は報われていない」と感じる場合、大雑把に言って理由は二つ考えられるだろう。一つは「当人の正当な期待に比べて報酬が少なすぎる」、二つは「正当な報酬に比べて当人の期待が大きすぎる」である。著者は何の疑いもさしはさまず、今の高学歴エリートは、当人の正当な努力や期待に比べ報酬が少なすぎる(上の文でいくと前者)と嘆くが、もしかすると高学歴者の側の期待が大きすぎるのかもしれない(後者)、という懸念は微塵も抱いていないのだ。
大体、「報われていない」とは何を根拠にしているのか? 高学歴者とそうでない人を比較して、互いの平均年収でも比較したのか? 教育にかかったコストとその回収率を調査したのか? 本書においてそういう調査が行なわれた形跡はまったくない。もし調査をすれば、後者はちょっと微妙だが、前者なら(おそらく)高学歴者はそうでない人を上回るだろう。それでも「報われていない」というのなら、どのくらい「報われれ」ば妥当だというのか? これについても、納得のいく基準が示されているわけでもない。これでは駄々っ子がぐずっているのと本質的に変わりないだろう。
(ここで著者が行なったように、芸能人や有名スポーツ選手、ベンチャー企業の創始者の収入と、高学歴者のそれとを比較するのは間違っている。才能と存在の希少さにおいて、前者と後者では比較にならないのだから。)
「報われていない」例としてキャリア官僚と一流企業のホワイトカラーについていくつか筆者の体験談が書かれてはいるが、前者については高学歴者のすべてが官僚になるわけではなく、後者についてはホワイトカラーのすべてが高学歴者であるわけではないのだから、「高学歴者の報われなさ」についての検証にはなっていない。
大体、この著者の人生に対する姿勢そのものが良くない。
「受験勉強の見返りが皆無になりつつある(224P)」
と、いうことは何だろう、この著者にとって大学へ行くことは、学歴を得ること、卒業証書をもらうだけの意味しかないのだろうか。なんという貧困な価値観だろう。
著者と同じように考えている高学歴者は結構多いのだろうが、そんな受験勉強しかとりえのない、せっかく大学に行ったのに、獲得できたと実感できたものが学歴だけ、というような高学歴者を、わざわざ制度的に救済してあげる必要がどこにあるのだろうか。
本来は星一つだが、冒頭で述べたとおり筆者の勇気に免じて星一つプラス。けれどもお薦めできない。