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相対する剣士をそれぞれに、ある意味追い詰めている武家の論理は前近代的なものであるが、その根底に流れるさまざまな感情は普遍の原初的なものであり、今日読んでもあまり古びた感じはしない。。。。。のは、やはり俺が時代劇が好きだからかも知れない。
むしろ今日的と言えるのは、その残酷描写であろう。腕が飛び、脚が飛び、体が両断される剣の破壊力は対峙する双方を無傷では終わらせない。『キル・ビル』や『シスの復讐』などが剣豪小説の映画化作品へのリスペクトとして残酷描写を描いており、そういうものと呼応している「愉しみ」であることは否定しない。が、今日的とはそうした表層的な意味合いのみを指すものではない。
駿河城南庭の白砂の上に繰り広げられる凄惨な殺し合いは、生き残った者の魂を更に深く傷つける。酸鼻を極める試合の描写は、達人ゆえの凄みと業を漂わせながら、「無情」の二文字を読む者の心にも刻み込むのだ。だがこれは、血で血を購う事の空しさを説教臭く語り、半端な悟りを錯覚させるものでは断じて無い。むしろ生の業苦とも言える、足掻いて足掻いて生き続ける様を、十一の試合は描いている。だが、十二編目では、いともあっさりと終焉を迎える生の空しさを突きつけるのだ。
「命は等しく無価値」というテーゼが今日的なのか?そうかもしれない。だが、その結論に至る醜いまでのバイタリティがあるから、ニヒリズムは「破滅の美学」に昇華するのである
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