二浪してようやく主人公が入学した大学は夜間部。そこで彼はひとりの女性と恋仲になる。ふたりきりになるための「部屋」を確保するために、彼はアルバイトに精をだすのだが……。
前半部分は晩生な男が女の子に恋をしていく初々しさとダメっぷりが微笑ましい。後半、主人公が彼女と暮らす部屋を見つける辺りから、小説が別次元の奇妙なリアリティーを帯びはじめる。とりわけ郵便局での無心で働く場面は極めてリアル。これは単に作者の実体験に基づいているとか、労働の場面が丁寧に描かれているということではきっとない。
主人公は目的があって労働をする。しかし、彼は労働に積極的な意味を持つことができない。変わって彼女は働くのが上手な人間で、働かなければ意味がないといい、そのお金でCDを買って、音楽が聴けなくなると死んでしまうという。彼女は「働くのが下手ね」と彼にいう。
岡崎祥久はデビュー以来、現代的なフリーター人物を積極的に描いてきた。この作品は、まるでマルクスの「労働の疎外」を具現化したような見事な小説で、「近代」が終わったポストモダン的状況をぶち壊して、地続きの近代的問題を現代で飄々と描いてみせている。人が労働から疎外されるのは、単に働くのが嫌な人間だとか、働くということに熱意が欠けているということではない。彼が戸惑うのは労働と生活が分かち難く結びついた「人生=彼女」そのものにあり、この小説に描かれているのは、疎外された視点から紡がれた「労働」そのものなのだ。
この小説で最もリアリティーがあるのは実は年老いた祖母である。自分は死ぬとあっけらかんと主人公に諭す祖母は、「疎外された人間」としての近代的人物であり、現代的漂泊者としての彼とひっそりと「共鳴」する。生活の儚さと労働そのもののリアルさを描いた、岡崎氏のひとつの頂点を迎えた傑作だと思える。