昨年、駆け足でインドをまわったときの感じでは、どこの本屋にもクシュワント・シンの本がおいてあった。インドの今の本読みは、サルマン・ラシュディーよりもクシュワント・シンの方を好んでいるように思えた。・・・そんなことを思い出しながらこの本を読みだす。数十ページ読み進むと、生きる気力が萎えかかった主人公が、ニガムボードのガートに火葬の現場を見にゆく場面となる。主人公は、近親の者たちの喪失の嘆きをまじかで聞く。豊穣すぎる生と虐殺の繰り返された街デリー。その数限りない死者達の声が聞こえてきそうで思わずはっとする。
『首都デリー』(原著1990年刊)は、女性のヒジュラ(半陰陽)の娼婦バーグマティとの交情と、古代から現代までのデリーにまつわる歴史物語を交互に織り上げた小説だ。壮大な構想、巧みな物語展開で、500ページ2段組の大冊を僕は飽きることなく一気に読んでしまった。インドのヒジュラについては、何となく知っていたけれど、今度この本を読んで賤視の対象ではあっても独特な身内の文化をもち、ある種の娯楽を人々に提供する集団であることが分かって大変おもしろかった。デリーの歴史物語については、例えばムガール帝国の歴代皇帝の物語、ウルドゥー語詩人ミールの愛と貧困の生涯、1857年のインド大反乱、アムリツァルにおけるブルー・スター作戦とインディラ・ガンディの暗殺等々、楽しく勉強させてもらった。しかし、この本の本当の魅力は、説明しにくいけれどももう少し違うところにあると思う。デリーはヒデーところだが(腐敗、非効率、不潔、怠慢、不親切、嘘に充ちた都)、それでもそんなことは表面的なことでデリーは本当にいいところなのだと言う感性、ヒジュラの娼婦バーグマティが生涯の情熱であると言い切る、つまりバケモノへの愛がすごいと思う。