ソクラテス(プラトン)の説く愛について要約すると、「愛とは善きものを求め、尚且つその善きものが永遠に自分のものになることを目的とする」ということになる。
愛が善きものを求めるというのは、エロース(愛の神)が愛される対象の方ではなく、むしろ愛する者であるとして考えることを要求する。誰かに愛されるのはやぶさかでない。それは善きものとして認められることに喜びを覚えるからである。他方、誰かを愛するのは切なさを伴う。それは自己所有していない善きものを希求するからである。だが、愛の神はこの「愛する」方にのみ属しているのであり、だからこそ愛する者に愛は存在するものの、ただ愛されるだけの者に愛は存在しないのである。
善きものが永遠に自分のものになるには、古いものから新しいものが生み出され、それからまたさらに新しいものへと継承されていくことで実現される。このことは、子孫を残すといった肉体面に限らず、偉大な思想や徳といった知慮の徳を残すといった精神面にまで広げられるのであるが、「プラトニック・ラヴ」という言葉があるように、そういった精神的愛こそソクラテス(プラトン)の目指す究極の愛なのである。けれども、だからといって肉体的愛が決して否定されていないことに注意したい。ソクラテス(プラトン)は精神的愛へ発展するための入り口として肉体的愛の必要性を謳っていて、まず肉体を愛し、そこから出発して階段を上がるように精神的愛へと上昇していき、そして辿り着く先にこそ究極の美、つまりイデアがあると説いているのだ。
いつのまにか「プラトニック・ラヴ」という言葉が、肉体と切り離された、純粋な精神的愛としてステレオタイプ化されているが、実際には肉体と連続する精神的な愛を指しているのである。