ラストエンペラーの音楽が、急な依頼でわずかな日数で作られた。しかも教授は中国の音楽に詳しくなくて、1日で全集を聴きイメージを膨らませたという。
世間のイメージ通り、まさに天才的な側面に目がいってしまいそうですが、私が注目したのはむしろ彼が一般人に比べ欠けている側面でした。前書きで彼自身語っていますが、彼は「ごく自然に、当たり前に文化を理解したり、社会的な関わりを行うことができない人間」だった。だから彼は後天的に音楽の成り立ちを学習した。
彼は生まれつきの音楽家ではなく、一つ一つのルールを学び吸収した人なのかもしれない。だからこそ教授であるし、音楽を教えることができる。生まれつき才能がある人、例えば細野晴臣は人に教えるには向かない人材かもしれない。なぜなら彼にとっては空気を吸うのも楽器を弾くのも同じごく自然なことだろうから。
ここが最も重要なのだけど、彼は「無」なのかもしれない。しかし圧倒的に容量の大きい「無」だ。元々は何もないけどあらゆる音楽を吸収し自分のものにしてしまう。そしてその「無」とはとても純粋なものでもあるかもしれない。だから911同時多発テロが起こった時、「世界が非常事態だ」とすごく過敏に反応してしまうし、自分が今まで作ってきた音楽さえ、テロの誘因になったアメリカ帝国主義に根ざすものとして無価値に思えてしまう。そこまで追い詰められてしまう。
坂本龍一が爆笑問題の番組に出演した際、「サザンオールスターズが理解できない。相対性理論は理解できる」と語っていました。ここに彼の本質が垣間見えると思います。
番組でかけられたサザンの曲が「好きな人にふられたけど幸せになって欲しいと願う男の強がり」を大衆レベルの分かりやすいメロディーで表現している。でもそういった大人の建前という文脈は坂本にはない。理屈でわかっても感覚としてしっくりこない。この本を読む限り、彼はある意味本音だけの存在だから、「好きな人に幸せになってはほしいけど、自分がふられたらそれはくやしいとはっきり言うし、変な建前を用いる必要はない」のかもしれない。
そういった種類の才能を、細野晴臣が早い段階で見出し。YMOに誘った。そして最終的に坂本は「ごく自然体な音楽がいい。むしろそれでいいんだ」と感じ出た。これはすごく意味のあることなのではないでしょうか。細野さんの人柄と坂本さんの人柄。この二つの出会いは。
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