朝鮮の歴史を紐解けば、一貫して守られてきた三つの支柱があります。一つ目は朝鮮半島という固有の領土、二つ目は儒教という倫理、そして三つ目は血統を核とした絆(民族)です。この三者こそ朝鮮人のアイデンティティーそのものといえます。過去には巨大な中華帝国や遊牧帝国に従属せざるをえず、その中で自己の生存力を高めるために強固な民族主義を養ってきました。それこそが本書でいう朝鮮民族の「自己絶対正義」といえます。
しかし、その正義が「絶対」であるが故に、様々な歪みも生み出されてきました。彼らは民族の正義に反する者、批判する者を容赦なく弾圧してきました。例えば韓国の廬武鉉政権は日本の植民統治に協力した者を探しだし、その財産を没収するという行為に出ています。親日派とされる言論人に対しては大衆とマスコミが総掛かりで糾弾しています。人権・民主主義を標榜する韓国が、民族主義の名の下に国是を否定しているのです。
朝鮮人にとって、時代の趨勢により止むを得ず日本に従属・協力してきた歴史は確かに屈辱でしょう。しかし、恥とされる歴史を「絶対正義」によって無理矢理濯いだ結果、史実が歪曲され、近現代史に多くの虚構を残してしまったのです。歴史というものは、被害者たる正義(朝鮮)と加害者たる悪(日本)に単純化できるものではありません。「絶対化」されたナイーブな民族主義。それこそが史実を曇らせる元凶なのであり、最も注意しなければならない「敵」なのです。本書はまさにそのことを指摘した警醒の書といえるでしょう。