著者の武光先生はものすごい多作で、執筆は弟子や編集者がこなし、本人は監修者に名前を貸すだけで、読んでもいないんじゃないかという気がするのが、この本である。あちこち、矛盾や間違いだらけに思える。
「ウラル・アルタイ語族」とひとくくりにするのは古くさい。日本の天皇家と比べての記述とはいえ、韓国の歴代王朝を「短命」とは。統一新羅200余年、高麗400余年、朝鮮500余年を「短命」と記述するのは近視眼だ。弥生人を半島からの移住者としているのも乱暴だ。
倭寇の実像は英雄ではないかもしれないが、「弱い者いじめの盗賊である」とは。じゃあ、「救いがたい混迷」だった李朝後期の貴族たちにも、同じ表現があるかといえば、ない。しかも、救いがたいはずなのに、「日本のよけいな干渉がなければ韓民族は独力で近代化をなしえた」とは、一体どっちだ。
秀吉の出兵で、<周囲の民衆すべてが敵になる・・日本人が史上はじめて経験したゲリラ戦であった>も肯んじがたい。空想による創作だ。民衆は圧政者であった朝鮮王や両班を見限り、日本軍が到達する前にソウルは火の海であったし、日本軍に協力するものも続出している。トウガラシが「日本」に広まるのも朝鮮出兵がきっかけって、これも逆だ。
日露戦争では、<今回も日本は、宣戦布告の前にロシア軍艦を「撃沈」する「だまし打ち」をとった>と記述している。仁川沖海戦のことだと思われるが、ロシア艦ワリャーグ、コレーツは日本から退去のモラトリアムを与えられたが、自らの意志で日本艦隊に突撃を選んだ。敗走後は鹵獲されないよう自沈した。
「信仰」の書であって、歴史書ではない。