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革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった
 
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革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった [単行本]

野田 成人
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容紹介

野田成人氏は、アーレフでは代表まで務めた人物ですが、その後、麻原原理主義派と対立し教団を追われたという特別な立場から、教団および一連の事件を総括しております。オウムの破滅的状況を内部から見てきた同氏は、その状況を綻びを見せ始めたグローバル資本主義社会となぞらえ、「その後に待つのは、革命か戦争か」と説きます。その言葉の真意を、本書でご確認いただければ幸いです。

内容(「BOOK」データベースより)

「日本はますますオウム化する」。最後の幹部が激白。

登録情報

  • 単行本: 246ページ
  • 出版社: サイゾー (2010/3/11)
  • ISBN-10: 4904209052
  • ISBN-13: 978-4904209059
  • 発売日: 2010/3/11
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.2 x 2.3 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
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18 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By クレオ・シュライベン トップ1000レビュアー
形式:単行本
おそらくこのレビューを読むひとは簡単に内容を知りたいと思っているでしょう。
そこで、まず中身を簡潔に紹介します。なお、この本の印税はすべてオウム犠牲者に寄付されます(本書113頁)。

1 著者は東大理物理中退(灘高断念→受験一筋→物理学研究への限界→入信→麻原のアメリカ行き指令で東大中退など)で、その後放射能を使った武器の研究のためにオーストラリアなどへ行ったりしている。すべて麻原の指示。本書によれば、ハルマゲドン(最終戦争による全社会的存在の死滅)をかたくなに信じていたためだという。なお、オウムがなぜ高学歴の信者を集めたのかの著者の分析が129ページにある。麻原の壮大すぎる宇宙理論への盲目的追従を支えた心裡の動きが語られています。麻原はオンナとセックスもするし肉も食うし修行もしない人間で、出家ではなく在家だったことに気づくことが遅かったための、著者の真剣さを踏みにじられた無残さのようなものがあると思う。

2 著者は、地下鉄サリン事件の実行には関与していない(らしい)。実際刑事責任は問われていない(正悟師といわれていたメンバーのうち5名だけが逮捕訴追を免れている。筆者もそのひとり)。麻原の逮捕をテレビで見ていたと書かれている。
 オウムの教団の全体の把握は麻原が仕切っていて、著者はその駒のひとつとして動かされていた様子が前半3章「武装化路線」のところまで(〜50ぺーじ)に、かなりかいつまんで書かれている。オウム教団内の闘争などのナマ臭いことは書かれておらず抽象的な感慨が述べられているといえる。

3 1999年上祐釈放後の組織の分裂と筆者の離脱が4章(残された者たち)5章(上祐の出所)6章(教団からの追放)に書かれている。この部分の理解のためには、新聞記事などからの予備知識が必要で、著者の要求水準に合わせる必要あり。それほどコンデンスされているともいえるが。

4 団体規制法適用団体となったあとの教団の分裂とその後の著者の考えと行動が8章(私のオウム総括)以下にある。ここの部分は、著者の宗教論になっており、内外の類似宗教思想、ネズミ講などの詐欺集団との比較などもある。筆者の考えの細部はわかりずらい。しかし、教義の根本へ向かうひたむきさはひしひしと伝わる。著者がかなり力を入れて書いている部分で、無慚な人生を送ることになった筆者にたいし、同情に堪えない。

5 9章にグローバル資本主義と宗教との関連性が書かれている。「資本主義と空の教え」とでもいうべきか。
 この章と冒頭の数ページをあわせたものが、筆者の主張の収斂部分だとおもいます。
 結論だけをここで述べれば、地球規模でのグローバル資本主義の追及(金銭的追及)と、人間のこころを問題とする宗教「的」思想との類似性というか「同一性」が語られる。ただし非常に雑多なもの(たとえば立花、河合、などの著書)を、著者の都合のいいように取りこんで解説していると受け取れる書き方多数。これほど頭のいい著者であれば、もっと体系的に人文科学系の書籍を読破したうえで思考を組み立てるべきではなかったか。都合のいいところのつまみ食いとはいわないが、圧倒的な自己の体験にどのような言葉を与えるかに苦悩している様子があると好意的に受け取っておきたい。

6 10章は派遣村で有名な湯浅村長らとの確執、追放のプロセスが描かれている。オウム後の筆者の貧困層への援助活動が、既存の政党や組合活動またはNPOなどの主張する「利権」(政府補助金、マスコミからの名声など)との関係が語られている。管直人などの狡猾な動きは書かれていない。あの当時、新聞で一斉に派遣村を持ち上げていたのは社民党であり民主党の菅直人らであったことは、けっきょく、旧オウムという犯罪組織にいた筆者が追放されたことと無縁ではないと思われる。

7 最終章は、オウム信者を解脱させてきた苫米地英人氏との対談になっており、口語体で本書の要約が語られている。

(コメント)

読むに値する一冊であると思います。

くだらない自称「脳科学者」「宗教学者」「人類学者」「社会学者」などの宗教分析バカ本などより、はるかに優れた実証の書物。
逆説的にいえば、出版社が売ろうと思ってどんどん刷っている精神世界を扱った本がいかにいい加減かがわかる。
オウムが、筆者のいう「グローバル資本主義」へのチャレンジから必然的に生み出される存在であったという考えにはある程度説得力がある。ただしあまりにも論拠が薄弱。筆者のこの主張自体が「政治的解脱」だと取られかねない。説得力を著しく阻害しかねない。もっとページ数を多くして自由に体験した事実を語るべきであったかも。もっとアナーキーな個人主義へ突っ走るのかなと思いつつ読みましたが、非常に穏当な結論になっています。これはほんとうにそうなのか。もっと時間がたてばわかるでしょう。ただし、抑えてはあるものの、派遣村の湯浅氏などのマスコミ受けする社会の底辺の人間救済については、鋭い考察が至る所にあります。さらに、ちょっと小休止している筆者の脳の状態もわかる書き方になっています。巻末に「みどりの家族」プロジェクトの構想がありますが、ひとりよがりでなければいいと少し危惧します。

なかなか短時間では読み終えることのできない重い本であることも確か。
  
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41 人中、33人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:単行本
オウム事件後、中堅幹部信者が書いた書籍には林郁夫の『オウムと私』、早川紀代秀の『わたしにとってオウムとは何だったのか』、加納 秀一の『カルトにハマる11の動機―オウム真理教古参信徒が実例で証明』、早坂 武礼の『オウムはなぜ暴走したか。―内側から見た光と闇の2200日』等があるが、これらの本はオウム事件までのことしか書かれていない。
しかし、この本は、その後のアーレフとなった後のことも書かれていて、しかし、最高幹部しか知りようのない事柄まで書かれている、その後のオウム・アーレフの欺瞞を白日のもとにさらす画期的な書となっている。
例えば、麻原の家族は裁判ではもう教団の運営には関与していないと証言しているが、それがまったくの嘘だったことまで書かれていた。
これなどは、マスコミの調査だけでは分からなかったことだろう。

また、野田氏はオウムの内部構造の過ちを指摘するだけでなく、日本社会との類似性を指摘しつつ、日本の危うさなども、心理学、道教思想をモデルに指摘する。
(おそらく、本当はこのことをメインに書きたかったのだろう)

そして、現在は、宗教活動からは足を洗い、ホームレス支援をなさっている。

事件後のオウム・アーレフに関心のある人、現在の日本社会の危うさを考えている人、取り返しのつかない過去を持つ人間がその後、どのように考え、どのように今後歩んで行こうとしているのかを知りたい人には面白い本かと思います。
このレビューは参考になりましたか?
3 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By 無覚 トップ500レビュアー
形式:単行本
前半、第7章まではオウムの内情。
麻原逮捕後も、教団内部では、殺人の決定を下す人間がいないだけで、あいかわらず現実感覚を欠いた意志決定が行われていたことが生々しく記録されており、興味深い。
しかし、随所で反省して見せながらも、ややもすると周囲への他罰感情が前面に出るのには、いささかウンザリする。

後半は著者の思索だが、幼い。
オウムがグローバル資本主義への警鐘だった、というが、根拠として挙げるのは、グルイズムと拝金主義の類似性、手段の目的化が共通していること、などである。それらは現代において極大化こそしているが、貨幣経済が常にはらんできたものだ。比較対象がグローバル資本主義である必然性が見えない。
自分たちが時代の子であると思いたいという動機が先にあり、グローバル資本主義をこじつけただけではないか。そうした心の態度は、随所に現れる反省の弁が(当人の主観では痛切なのだろうが)どこか軽いことにも通じているように思う。

著者には、自分が貧困者支援ネットワークから排除された理由が分からないようだが、私には、なんとなく分かるような気がする。そこは、外部への発信において社会批判を前面に出しながらも、実践の内部においては責任の観念による厳しい自律が求められる場だと思うからだ。
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