登録情報
|
カミュにとって、人間の生命こそが価値です。いかによりよく生きるか、ではなくて、いかにより長く生きるかが問題なのだ、とまでカミュは言っています。ですから、どんな大義名分があろうと、カミュにとって殺人は悪です。戦争は悪ですし、死刑も悪です(カミュには「ギロチン」という死刑制度についての文章もあります)。革命運動も、それが殺人を許容するなら悪です。
カミュ・サルトル論争は、共産主義革命という正義のためなら殺人は許されるか、をめぐる争いです。共産主義が正義かどうか、が争われているのではありません(同じことですが、「反抗」と「革命」の対立であって、「共産主義」と「資本主義」の対立ではありません。ふたりとも共産主義が正義であることを疑っていません。ただ、カミュが革命運動の最終手段である暴力を否定しているので、事実上は反・反体制に傾いています)。この論争では、サルトルの思想がカミュの心情を圧倒している、という判断が大勢のようです。けれども、歴史はカミュのほうが正しかったことを証明しているように見えます。
私は、カミュと同様、たとえ正義のためでも殺人は許されない、殺人を認めたときに正義ではなくなる、と思っています。世界に意味がないからこそ、殺人は認められません。逆に言えば、殺人という究極的な行為を許すような価値があるのなら、世界には意味があることになってしまいます(ーーもしかしたら、世界には決定的な正義があるのかもしれません。でもそれは、残念ながら私たち人間の眼からは隠されています。ですから聖書でも「復讐するのは神である」(ローマ12・19)とされているのだと思います)。
|
この商品のクチコミ一覧
クチコミを検索
|
関連するクチコミ一覧
|
|
|
|