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著者は戦没兵士の顕彰を、国家の政治的意思〔による死者追憶の横領〕の問題として提示し、それを回避するには「ひたすら悲しみにとどまる」だけで十分である、と述べます。しかし国家の政治的意思とはまた別に、近親者や他の死者に関する個人的な記憶を国家との関係でしか意味付けることの出来ない、そうした人が尚現実に存在するということを、著者は切実には受け止めていないと感じました。是非はともかく、個人の記憶がナショナルな形で編成されざるをえないという事態の根深さと切実さを考えるならば、少なくとも現状において純粋な追悼と政治的な顕彰をきれいに峻別することが実際に可能とは思えません。またその意味で、戦死者追憶の問題を「感情の錬金術」という名づけのもとに、国家のいわば一方的な政治的詐略に還元するかのような態度も正当とは言えません。
個人的には戦没遺族や靖国宮司に対して一片の共感も抱きませんが、個人的な生の経験と構造的にカップリングされた彼らの主張を、結局は「特異な」の一言で切り捨てることの出来る著者の心性にも疑問を感じます。靖国問題を解決することが、同時に個々人の心性に宿るナショナリスティックな構造を解体することでもあるとするならば、著者の提示した解決法にそこまでの衝撃力は期待出来ません。
論点と主張が明確に整理されている限りで、本書は入門書としては適当です。しかし相互に調停不可能で、かといって何れかを放棄することも出来ない複数の過去の記憶を抱えながら、靖国問題に対処していくための処方箋〔または論争の素材〕としての価値には疑問を抱かざるを得ません。著者の主張の明晰さは結局、とりわけ死者の追憶に纏わる難題を先送りにして成立した、欺瞞に満ちた明晰さであったように思えるのです。
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