「五十を過ぎた自分に戸惑い、年齢にふさわしい文体がこの世には存在しない」ため、不本意ながら「僕」という一人称で「一昔前の若者小説みたいな文体」で書かれたのがこの小説だ。五十一歳の「僕」は中堅商社での社内抗争に揉まれながら、自分なりの正義を貫き、独立・起業し、不本意な目に遇いつつも、現在の地位を築いてきた。
「僕」は1990年代を「失われた十年」と呼ぶ。その間の努力と苦労は、心にさまざまな傷を残したし、何よりも、最愛の一人娘が、父親の仕事のめぐりあわせから、学校生活に挫折し、夜遊びを繰り返した揚句に妊娠してしまったのだから。
……読み終えて複雑な感慨に囚われた。というのも、私はこの作者の「一昔前の若者小説」のファンだったからだ。その頃の小説に出てくる、職場でいろんなことに耐えながらも、心に小さな刃を隠し持った、でもかなりヘタレな、モテないけど母性本能をくすぐる会社員たちに、恋をしていた、とも言える。
九十年代のこの人の小説はどこか萎縮した感じで、作者自身それを「失われた十年」と感じていたのだろう。今回の作品は、起死回生の一作なのか、それまでの、作品との微妙な距離感やてらいがあまりない。「僕」はありのままに自分の家族観、人生観を時に演説調で語るし、235ページに列挙される好きだった作家の実名には、あっさり手の内を明かす正直さに驚愕したほどだ。
でもやっぱり、老いたな、という失望は隠し切れない。娘に対する親バカぶりなど、つい引き込まれるのだが、素直に共感できない。自分のほうが無理に若作りな読者を演じているのか?
いや、わかった。この主人公が「皆の幸福」を考えているのが腑に落ちないのだ。かつてこの人の八十年代の小説中で、主人公が、企業研修の講師を「私は別に幸福になることを目的に生きているわけではないので」と言ってやりこめる、その場面を読んで恋におちたのだから。