ノンキャリアの記述では、機密費流用事件の松尾克俊氏や、鈴木宗男氏と“特別な絆”を結んだ佐藤優氏らに焦点を当てています。なぜ彼らノンキャリアだけが罪を被ったのか? 技官の記述では、著者自ら旧労働省の技官であった経験に基づきながら、薬害エイズ事件等を取り上げています。なぜ事務官ばかりが出世するのか?
一方、キャリアについては、政官関係における族議員の実態等、KSD事件を体験した元官僚の著者ならではのリアルな本音の描写がなされています。なぜエース官僚は霞が関を早期退職し、就職活動で霞が関は敬遠されつつあるのか?
なお本書は、著者が4年間技官として旧労働省で働いた実感と、ノンフィクション作家として10年の歳月をかけた取材の集大成です。ぜひご一読ください。
(目次)
序章 無法の町、霞が関
1 キャリアとノンキャリア――「残酷人事」其の壱
2 事務官と技官――「残酷人事」其の弐
3 国家公務員法アンタッチャブル――無視される国法
4 永田町という雲上界――霞が関を上回る“特権階級”
5 辞めるか、死ぬか、諦めるか――官僚に残された“地獄の三択”
終章 それでも希望を探して……
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キャリアとノンキャリアの間にある圧倒的な人事格差、事務官とは別個の権益を持つ技官の存在、自民党の各部会や族議員による各省庁への強力な圧力。そして、それらに端を発したいくつもの政・官の犯罪や不祥事。さらには、若手を中心とした官僚たちの外部流出。新聞や雑誌などでも日々報じられている「霞が関」の諸問題ですが、「役人の人事」という視角から、「霞が関」に内在する諸問題の全体像を分かりやすく概観できるという点で、なかなかの好著だと思います。不祥事の原因を単純化して特定の要素に還元しようとはせず、人事制度を始めとした入り組んだ関係性の中で不祥事が惹起されると考える、筆者の姿勢にも共感できます。また、中盤で挿入される、旧労働省で技官を務めた筆者自身の実体験も、本書の記述にリアリティの厚みを増しています。
後半では、いわゆる政官業の癒着についても言及されていますが、その癒着の構造を可能にしているのは一体誰なのか。政・官だけではなく、依然として政・官に依存し続けようとしている民の存在が大きいのではないか、ということも示唆されているのではないでしょうか。
最終章の筆者の提言どおり、閉塞状況を感じている官僚たちも声をあげ、「改革」という名に自己満足しての「改革のための改革」ではない人事制度改革が行われれば。そして、ひいては政と官の歪んだ関係性自体を組替える「霞が関」改革が行われればと思います。
(なお本書でも、なぜ官僚が政治家に頭が上がらないかについては、ある程度の紙幅を割いて言及されています。)
官僚制度を批判的に語る上での「紋切り型」はすでに殆ど出尽くしている。そのどれもが、それなりの「合理性」をもっていることは言うまでもない。キャリアをノンキャリアの処遇の問題、天下り問題等々。そして不祥事が起こるたびに繰り返しこうした紋切り型が登場しては過ぎ去ってゆく。行政改革の掛け声とともに。しかし、今までに一つとして有効に結実した行政「官」改革はあったろうか?
当たり前のことだが、行政機構の全てが悪なのでは決してない。寧ろ大多数の人間は極めてモチベーションが高いのだろう。にもかかわらず、そうした美点が発揮されないのはなぜか?そこに、従来の紋切り型が見落とし続けてきた盲点が存在する。漢字の読めない大臣のおかげで幾度となく答弁書の原稿が書きかえれれたり等々、想像を超えた「無駄な仕事」の山。官僚の本音は既得権益に縋ることでもなく、「仕事をこなして早く家に帰宅したい」とくれば、これは悲喜劇ではないか!
著者西村は技官として旧労働省に勤務した経験をもつ。そのため、元技官ならではの技官論も勿論収録されており、有益である。また、政と官の関係についても言及している。本書の白眉はなんといっても政官関係-困った族議員と役所の駆け引きを著者の体験を通じて描いているところにある。
空虚な行政改革スローガンの前に、本書が広く読まれることを願わずにおれない。
本書は、中央省庁の役人が厳しいプレッシャーの環境にあることをテーマとしていますが、そんな環境の中で、直向に行政のために勤めている人々を見ている証人の一人として、新聞などのメディアで盛んに非難されている国家公務員にエールを送りたい気持ちになってしまいます。
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