私を含めた多くの日本人は、この詩人を、『アンドレイ・ルブリョフ』や『ノスタルジア』、『サクリファイス』などで知られるロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキー(1932〜1986)の父親として、そして、彼の映画でその名と詩が度々登場した詩人として知った筈である。映画監督タルコフスキーにとって、父の詩がいかに重要な意味を持って居たかは、例えば、この本に収められた以下の詩から伺える。
−−金色の小鳥のように暗がりにふるえる炎、すぐにマッチは僕の両手の中で燃え尽きるだろう。どうやら、そんな、僕には永遠に愛しい青い小さな心が、その炎に宿っている。そしてこのゆらめく光のもと、たとえそれが両手から落ちても、僕はひとつのしるしをたよりに、まわりのすべてを知るだろう。残念だ、蝋燭も、マッチももうない、小さな煙の輪へと巻きゆく黄色い光。楽しみもない、まばゆさもない、ほんのわずかなあいだだけれど、僕への贈り物となる最後の炭のかけら。おお、僕が詩にともした一瞬の焔(ほむら)が儚いマッチにおとらず、君に喜ばれて生きたなら!(本書70〜71ページより)−−
映画『ノスタルジア』を観た人なら、この詩が、『ノスタルジア』の最後で主人公のロシア人が蝋燭を手に持って死を迎える場面に符合する事に気が付いて、驚く筈である。これは息子が父の詩にいかに傾倒して居たかの一例であるが、私達は、この詩人を、最早、アンドレイ・タルコフスキーの父としてではなく、独立した存在として知るべきである。本書を推薦する。
(西岡昌紀・内科医)