ヌーベルバーグに乗り遅れてしまったかと思われた名匠ルネ・クレマン。方向性が定まらず映画作家として疑問符をつけられてしまったのも事実。しかし『太陽がいっぱい』で見せたサスペンス・ジャンルで再び作家性を模索し始めたのが70年代であった。クレマンの70年代サスペンスは甘く切なく、どことなく優しい。スリルを感じるというよりも犯罪に絡む人々の切なさともの悲しさを雰囲気たっぷりに謳いあげることに主眼を置いたようだ。我々はむしろそこを喜びたい。そこにこそ、長い間過小評価をされてしまったルネ・クレマンの作家性と本領があるのだから。
この『雨の訪問者』もご他聞にもれず、サスペンスにしては緩やかで甘い。チャールズ・ブロンソン主演だったら、もっとハードにスリリングに展開出来たはずだ。しかし、ここでのブロンソンはどこまでも包容力たっぷりで大人の男の温かさに満ちている。しかし、チャールズ・ブロンソンの本当の魅力とはこれなのではないか。ただ体を張るだけのアクションスターとしては彼は魅力がありすぎる。メルヘンに傾倒した脚本家セバスチャン・ジャプリゾも作家ルネ・クレマンもそのことを知り尽くしているかのようにブロンソンの魅力を引き出すことに成功している。
ヒロイン、メランコリーを演じたマリエール・ジョベールも精神的に追い詰められた若妻を精一杯演じて好感が持てる。かなり歳の離れたブロンソンとべたべたしないのもよい。なんだか親子というか、年齢を超えたある種の愛情の絆が水面下にほのかに感じられるのがいい。クレマン監督は、こうした危なげなのだけれども感傷的で淡く透明度の高い空気感をかもし出すのが実にうまい。
フランス南部の田舎町で起こる訳ありの犯罪をめぐって、トラウマを抱える女性メランコリーと彼女に何故かまとわりつくブロンソン扮する尋問者ハリー・ドブスが互いに言葉を交し合うのが本編の主な内容だが、クルミや時計、そして扉やボタンなどが物語をいっそう味わい深くする調味料としてうまく使われている。クルミは「愛情」、時計は「焦燥感」、扉は「隔たり」、ボタンは「秘密」をそれぞれ表しているといった具合に。そのあたりも物憂げで洒落た雰囲気を加味するのにかなり貢献している。加えて、降りしきる雨や寂しげな海岸、黒くそびえたつ威圧的なエッフェル塔など、背景の映し方も美しい。フランシス・レイの甘く切ない音楽も絶妙な効果を挙げていて心地よい。
スリルを味わうためのものではなく、登場人物たちのどことなく悲しげでうつろな息遣いを堪能するためのサスペンスなどクレマンにしか撮れない。まさにルネ・クレマンは、この時期に自らのスタイルを真の意味で構築することに成功したのかもしれない。70年代初頭に発表された彼のフィルム群は「ムード・サスペンス」とでも形容できるのだろう。『雨の訪問者』はそんなことを如実に感じさせる棄てがたい雰囲気を持つサスペンス映画である。