百年近く前に書かれた本を現代に生きる私たちが読む価値はどこにあるのか?・・・漱石などにも同様に感じることがあるのですが,読み始めるとそんな講釈はどこかにいってしまうあたりにいつまでも読み継がれている理由があるのでしょう。「小説の読み書き』で佐藤正午氏が,たかが”鯖の味噌煮”ごときものが,男女の人生を狂わせるということについて,自らもそのアイデアを借用し書き上げた小説があると述べていました。「こんな話どこかで読んだことがあるなぁ」と高校生の時に初めて「雁」の読み終えたときに思いましたが,それは鴎外氏に対して失礼の極みというものだったのですね・・・前口上は別として,鴎外の作品にしては,読みやすく,なぜか何年経ってもあらすじを話すことができる作品です。高校の教科書からも消えつつあるようですが,是非,我が息子もいつの日か手にとり,携帯電話などない時代の明治インテリ人の恋の苦悩について思いをはせてもらいたいものだと願うばかりです。「取り返しのつかない一瞬は後から振り返ってわかるもの」という真理はいつの時代も変わらないものでしょうから。しかし,その一瞬を逃したことを”運命のいたずら”などという言葉で語ってしまうのは,結局,弱者の言い訳にすぎないのではないでしょうか。どうせ”運命”に”いたずら”されっぱなしの人生なら,次なるステージに起こる予測不能な出来事をしっかりと受け止める強さを信じたいと,今回云十年ぶりに再読し,高校生の時には感じなかった読後感を得られるのはやっぱり歳を喰ったせいかもしれませんね。