30年ほど前に発表された梅原氏のこの法隆寺論は日本史、建築、美術史等々のジャンルを総動員して法隆寺の全体像に迫る試みであった。その結論は聖徳太子の怨霊が法隆寺に封じ込められているという、驚天動地のものであった。
同時にかれはみずからを哲学者と位置づけ、反論するなら揚げ足取りではなく、全体像をもって反論せよ、と表明していた。その言やよし、である。
多くの読者はかれの熱気に圧倒され、とくに当時の若者層は結論をそのまま信じこんでしまったようだ。学者間で評判は芳しくなかったが、正面切っての反論はなぜか回避されてきた(触らぬカミにタタリなしと、著者のパワーを恐れたか?)。かれの影響力は各界におよび、その結果、文化勲章という快(怪?)挙にまで至る。学者のふがいなさは今に始まったものではないが、この間、怨霊説は浸透し、いまなお信じている人も多い。
全体像を求めるかれの姿勢そのものは今も評価されようが久しぶりに再読し、思い込みに基く推論、それがあれよあれよという間に次々に断定に変わってゆく強引さが目についた。もちろん読者がその熱さをよしとし、酔うのは自由だ。しかし面白ければそれでいいというのでは思考停止、知の衰弱であり、著者も望まないはずだ。結論に関していえば、建築用材の伐採年など近年、明らかになったデータなどに照らしても、重大な疑問点があるのである。というか、そもそも論の出発点を疑う必要があり、再検討が求められる。
最近、梅原説に触発され、かつ氏とは別の角度から、全く新しい法隆寺の全体像が建築家によって打ち出された(武澤秀一『法隆寺の謎を解く』ちくま新書)。梅原説は“引き金”となることにより、この有力な新説の誕生に貢献している。十分に触媒の役割を果したのである。哲学者・梅原氏としても望んだところであるはずだ。併読されるようお勧めしたい。