僕が高校生の時に、英語の授業中に先生が「この映画には負けた」(つまり「この映画は素晴らしい」という意味)と仰っていたので、是非、観てみたいと思っていたら、その後、テレビで放映されたので観た。
僕が高校生の時に、初めてこの映画を観た時には、この主人公は、最初の恋人を裏切らずに、子供ができた責任を取って、結婚するべきだと思った。
そして、新しい恋人とは別れ、最初の恋人と子供と3人で慎ましい生活を送るべきだと思った。
そうすれば、すべて上手く行く。
だが、今はその考えは変わった。
彼女と結ばれて、子供ができた訳だけれども、その後、新しい恋人が現れて、もう彼女のことは好きではなくなった訳だから、その時点で彼女との関係は終わっている。
義務感や責任感で結婚してもらっても、その後の生活は決して幸せなものとは成り得ない。
だから、彼女はその無責任な恋人とは別れ、新しい生活を探すべきである。
愛の無い生活を続けても無益である。
無論、それには、お互いが納得いくまで、とことん話し合わなければならない。
当然、高額の慰謝料も支払われなければならないだろう。
しかし、これは、現在の社会での話で、この映画の舞台になっている1916年当時では、やはり、責任を取って結婚しなければ、この映画のような悲劇に終わらざるを得なかったのだろう。
どうしてもこうならざるを得ないと納得させる映画だから、誰もが感動し、素晴らしいと思う映画なのだと思う。
もうひとつ、僕がこの映画を好きな理由がある。
それは、主人公が恋人の事故死で、殺人犯として、起訴され、死刑囚となった後も、新しい恋人は彼を愛し続け、刑務所まで会いに来て、「永遠に愛している」と言うからだ。
ここまで愛されれば、本望だと思う。
いつ、死んでもいい。
彼は、「僕のことは忘れて、幸せに生きてくれ」と言うけれど、彼女が彼なしで幸せに生きられるはずがない。
このシーンは涙なしには観ることができない。
僕の理想とする愛がここにある。
たとえ、世界中の人々全員が敵に回っても、僕の彼女だけは味方として永遠に僕を愛し守り続けてくれる。
そして、僕も彼女にそうする。
二人は永遠に強く愛し続ける。
そういう愛が見つかれば、僕はいつ死んでもいい。
その僕の理想の愛が、この映画には描かれている。
本当に素晴らしい映画だ。
だから、僕はこの映画が一番好きなのだ。