中国古代史にまったく興味がなかったので、この作品が‘90年に小説新潮で連載され始めた時、この雑誌の定期購読者にもかかわらず読まなかった。そして、長い年月を経過した’06年の1月、古本屋で文庫本の第1巻をなんとなく手に取ってみた。本の裏にある作品紹介の欄に[サイコ・ソルジャー]という単語が書いてある。超能力もの?にもあまり興味がないので本棚にまた戻した。そして、隣にあった著者の処女作「後宮小説」をなんとなく買った。これが圧倒的に面白い。
第1巻を買ってみた。聞いたことのない人物がたくさん出てくるし、孔子のことも全くといっていい程知らない、儒教といっても礼を重んじる考えといった程度のことしか解らない私にとって、最初はピンとこなかった。それでも読み進んでいくとページを閉じることが出来なくなった。儒教の礼を闘いの力とする発想が凄い。しかも無理やりでない。1ヶ月半をかけて全13巻を読み終えた。結末もよかった。
著者はあとがきで、「どんなものを書こうが、この心(思い邪無し=嘘であっても邪であってはならないという心)なかりせば小説家はたんなる語り者、何が言いたいんだかよく分からん文学屋に堕してしまうのではなかろうか」「…読書人たるもの、最低でも論語と史記には目を通しておいた方がよいと思う。最古の文章、小説、基本中の基本であるからだ」「『知』に関しては小説家なぞをたよりにすべきではない」と記している。
これは、論語と史記を読んで知識を得てからこの作品を読めということなのか、それとも、これらの作品も著者に言わせれば小説なのであり、『知』を得るために読むものではなく、自身の小説と同じく楽しむために読めばよいということなのだろうか。
とにかく、中国古代史を知らなくても面白い、史実を題材とした壮大な“小説”である。