本書は、1981年三一書房より出版され、03年新版となり、3,11をうけて再度新版として出版予定のもの。
収録の「定期点検中の敦賀原発」は記事として、77年11月、『アサヒグラフ』で13ぺ一ジに渡って特集され、他にも本書にもあるように74年の岩佐嘉寿幸氏による初の原発被曝訴訟、77年の楢崎弥之助・社会党代議士による原発労働者の被曝実態調査の新聞報道などで、当時夢の発電として安全と思われていた原発が、現場作業員に被曝の危険を生みながら定期点検をし、通常運転を行っていることを、世に問うていた。
その後も99年のJCO事故をはじめとして放射能洩れは数々起こり、その度に事故隠しが明らかになった。
書籍も鎌田慧は勿論、明石昇二郎も『原発崩壊』(増補版 想定されていた福島原発事故が復刊)として、事故のシュミレーションをし、週刊プレイボーイでの連載をまとめた『敦賀湾原発銀座[悪性リンパ腫]多発地帯の恐怖』で、通常運転時にも吐き出される放射能による風下地域のガン被害を書いた。
しかしそれらがベストセラーになることも、世論を動かす大きな力となることなく、樋口に象徴されるように出版後の嫌がらせや身の危険が続き、原発立地現場の住民反対運動や原発労働者の闘いは、札束で黙らせられてきた。
3.11で反原発の気運は盛り上がり、ドイツが22年まで、スイスが34年までと脱原発を表明し、原発を重要輸出産業と位置付けたあり方も方向転換しているよう見えるが、その前日どころかその後も中国電力は山口県で上関原発を新規建設しようとし、5月末のG8でも、管総理は脱原発ではなく、原発は維持したまま安全性の強化というスタンスであった。
日本人は、1億総懺悔と共に責任謝罪の希薄化を行ってきた国であり、この事故も10年もすれば忘れ、また反原発運動が小さな市民運動となるのではないかと懸念する。
本書にあるように筑豊など貧しくされてしまった地域から人は労働力として買われ、“原発安全神話”を守らんが為に、危険であるとの情報は隠蔽され、JCO事故では補償の対象は約7,000件、補償の総額は約150億円となったが、その中にはJCOから道路1本隔てて向かいの自ら経営する工場(最短で120メートル)で被曝した大泉昭一さん夫婦のように健康被害を親会社の住友鉱山に訴えながらも最高裁でも認定されなかった例もある。
事故・情報隠しは原発産業の常套手段で、現在よりそれが許されていた77年に、指定された場所とフィルム1本/20枚だけとの制約付きながら、定期点検中の原発内を大マスコミに先駆けて取材し、80年に横須賀〜島根原発までの核燃料輸送を、徹夜で、警察に嫌がらせをうけながら、追跡調査した本書は、原子力産業の本丸には踏み込めずとも、危険があるからこそ隠すとの姿勢を明らかにしたレポートとなっている。
今でこそ数々の原発告白書生が復刊しているが、初版発刊時にベストセラーになっていれば、世界有数の狭い地震大国に55機もの原発は建たなかったであろう。
先に10年後の予想を書いたが、そうさせないためにも読み継がれ、ロングセラーとなって欲しい書である。