中国辛亥革命を主導した孫文が高野長雄という変名を使ったということからも分かるように、高野長英は、欧米列強のアジア進出の脅威に、最も早くから警鐘を発した江戸末期の医者であり思想家である。鎖国政策を批判した彼は宿敵鳥居耀蔵によって永牢(終身刑)に追いやられる。入牢5年にして遂に脱獄。弟子や牢仲間など多くの献身的な支援により、不可能とも思える逃避行を続け、ついには、島津斉彬や伊達宗城などの大名にまで庇護を受けるようになる。彼が潜伏中に訳した西欧の戦術書は、西欧列強の日本進出に危機感を持つ藩や学者の間で貴重な先進的文献として高く評価される。ところが、皮肉なことに、その翻訳が傑出していたが故に、それだけの高度な翻訳と解説ができるのは長英しかいない、ということで、一時は死亡説が流れていた彼の潜伏が暴かれてしまう。
息詰まるような逃避行の中でも、時代に警鐘を発し日本を救わなければという使命感と、一人の弱い人間としての長英を、どちらかに偏重することなく見事に描ききった秀作である。