ある種の「爽やかさ」を感じさせる本である。扱われているのは、作者が中国留学中の「恋」の物語。その意味では、ノンフィクションというより極めて個人的な「手記」だ。しかしこの恋、時に重く暗い。だが作者の城戸さんは、「あの戦争から遠く離れて」を10年かけて書き上げた「熱さ」そのままに突き進む。決して「今どきの恋バナ」ではない。「書かずにはいられない」という思いが、素直に伝わってくる。
もちろん、大宅壮一ノンフィクション賞を獲った作者の「受賞第一作」ということで読むと、やや肩すかしを食うかも知れない。しかし第一作が、正統派ノンフィクションでなければならないという約束事はない。
帰国した残留孤児たちのかなりの人たちが、言葉や習慣の違いから、悩み苦しんでいると聞く。行政の支援もお粗末だ。城戸さんは現在、そういう人たちの支援をしているとも聞いた。個人的には、そのあたりをドキュメンタリーとして書いて欲しかったという気持ちは、ある。しかしおそらく、この「長春発ビエンチャン」は、ノンフィクション作家・城戸久枝として、避けて通ることのできないテーマだったのだろう。
この本を書くことは、作者にとっての「通過儀礼」のようなものだったのだと思う。
ノンフィクションとは対象から一歩距離をおいて事実を追うものだと私は思う。しかし「あの戦争から遠く離れて」の対象は、残留孤児だった父上と、その歴史をたどる著者自身が主人公である。自力で帰国を果たした日本人初めての中国残留孤児――という「重い事実」の前では、「対象から距離を……」というノンフィクション論など吹っ飛んでしまった迫力があった。
「長春発ビエンチャン」にも、爽やかな熱さがある。誰もが経験する、若き日の恋。それが著者独特のタッチで、強く描かれる。凡百の回顧録とは、全く一線を画す「パーソナル・ドキュメンタリー」とでも言える物語だ。