録画しておいた《長崎ぶらぶら節》を見て思ったことは、雪国にしても、原作のモデルの大体がすっきりした美人ではなく、美人ではないがどこか愛嬌のある女が本当のような気がする。
長崎ぶらぶら節も映画の小百合ちゃんよりはドラマの市原悦子の方がより実感をもって迫ってくる。
人が好くて、男が好きで、からだの奥から情の深さが匂ってくるというか。
市原悦子さんの愛八には思わず抱きしめたくなるような愛おしさがある。
小百合ちゃんの愛八には体臭が感じられない。垢もついていない。
これまで生きてきた間にいつとはなしについてしまった垢。
いうにいわれぬ哀しみみたいなもの。
男優もそう。《時雨の記》では小百合ちゃんと渡哲也のシュっとした美男美女でよかったのだが、幅のある人間を演じるには渡哲也よりはどうにでもなる崩れた魅力の藤竜也のほうが好い。
谷崎の《細雪》でも山本富士子にあった関西のはんなり感が小百合ちゃんにはまったく感じられずガッカリしたものだ。
特に気になったのは意地悪な眼つき。
小百合ちゃんのいけずは目に力が入り過ぎるというか。ストレートに出てしまっていただけないのだ。
意識せずにできる、もともと身についたいけずな意地悪さというのかな。
さらっとした眼つきなのだが、そのしたたかさが想像できるような。
その点では佐久間良子さんの眼つきは好かった。
もともとスターと呼ばれる人には芸達者な人はいないし、これはしょうがないのかも。