「ゆずとの最後の日々」
本の帯は、便利です。
とりわけビニールカバーに覆われて中身が伺えないコミックスでは、帯の文句が購入するか否かを左右することも多いのですけれども、時にあまりにも明快に雄弁に語り過ぎてしまうこともあります。
ちょうど本作品のように。
須藤さんとゆずに出会ったのは、私が高校生の頃、母が購入してきた猫の雑誌でした。
「ちょっとおみそが小さい」と言いながらも、愛猫に(時に過剰な?)愛情をたっぷりと注ぐ漫画家さんと、少し臆病だけれど元気いっぱいなオス猫さんのやさしい暮らしぶりを毎月楽しみにしていました。
それから幾年も経って、もう母も大切に飼っていた私の猫もこの世にはいなくなってしまいましたが、折に触れて「ゆずは今どうしているんだろう。」と思い返していたのです。
帯を一見して、とうとうその時が来てしまったと思いました。
もう中身は読まなくても解ります。
きっと私は悲しい思いをするでしょう。
そうは思いましたが、結局私は本作品を購入しました。
・・・ゆずは、16歳まで生きていてくれました。
晩年まで元気いっぱいで、須藤さんの愛情を変わらず受けて、幸せに生きていてくれました。
ゆずの魂が離れる瞬間の時の事について、須藤さんの感じた痛みは、後悔は、きっとどんな風に別れが訪れても、みんなが感じるものではないかと思います。
たとえ手厚く看護をしても、何度病院に連れて行っても、「あのときああしていれば」という後ろめたさから逃れることは出来ないのではないか、と思うのです。
『長い長いさんぽ』前後編を読みながら、私は予想通りボロボロに泣きました。(このレビューも涙ぐみながら書いている始末です。)
悲しいと言うよりは、痛かった。須藤さんの痛みが突き刺さるようでした。
けれども本作品を読んで、中でも最後の『ゆずとまま6』を読んで、救われたような気も、また、しました。
須藤さんは一人ではないし、ゆずからもらっていたものつながっていたもの全てを失った訳では決して無いからです。
ゆずは絶対に幸せだったはずです。
この作品を読む人は、これから黄色い花を見るたびに、山吹の花を見るたびに、きっと少しの胸の痛みと、暖かな懐かしさと優しい想いを抱くのだろうなぁと思います。