ショート・ショートを日本語に訳すなら小咄としても間違いなかろう。JET STREAMと言うのには理由がある。これこそが、私が作風に満足できない理由であり、(今のところ)作者の限界だと思うのである。
一定の水準を保ちつつこれだけのアイディアを出し続けるのは恐らく神業に近い。星新一唯一の弟子として、創意の能力に文句をつける余地はない。しかし、問題は文体だと思う。ひとつは、小粋を気取った登場人物が、鼻持ちならない仕草で、歯の浮くようなセリフを口にすることである。城達也の物まね、あるいは柳原可奈子のOLネタを頭に描いて、その声で彼ら、彼女らにしゃべらせてみればいい。おしゃれとは何かがわかっていない、おしゃれだと思い込んでいる滑稽な人物たち。それを茶化すわけでもなく、大まじめに作品世界の主人公として提示する作者は、本気なのか、それ自体がシャレなのか。後者だとするなら、相当にグロテスクな作品も含めて、すべてが笑い話になってしまうが、それではまずいはずである。もうひとつは現代または未来に舞台を置いたときの、紋切り型の表現である。修飾句だけでも「すくっと立ち上がる」「ピョンと跳ねる」「にやりと笑う」等々。いったん気になるととても目につく。読者は筋書きだけを読むのではない。内田百けん(門構えに月)は、本当に上手い文章というのは、ああいい文章だったと読み終えて、さてどんな話だったか、思い出せない、それが理想だ、という意味のことを書いた。言い古された表現でしか語れないのは、小説家として致命傷ではないか。だから、文体が大阪弁であったり、舞台が現代語を使わない過去であったりすると、作品は俄に精彩を放つ。本書の掉尾を飾る「砂書き」「浮人形」の凄みといったら!
もちろん、退屈などしなかった。しかし私にとって、本書の価値は事実上、最後の秀作2編のみにあった。