マンハッタンの歴史書というよりもマンハッタンの生態学と考えてみるのも、この本を捉える上で重要だと感じた。本書では「過密の文化」「ロボトミー」という言葉が出て来るが、都市/メトロポリスが持っている密度のポテンシャルがどのようにシステムとしてカスタムされて、ロボトミーとしての側面が構成されているかを見せてくれる。
平面方向に展開されるグリッドが作り出す冗長性と区画されて作られる各セルに流入する過剰なエネルギーが都市を形成する基盤と原動力となる。各セルは実験室となり、成果はその冗長性ゆえに他の全てのセルへと伝播していく。垂直方向では水平断絶されたスラブの積層によってあらゆる要素が隣り合う可能性を獲得する。複合化の流れはセルそのものを一つの都市へと仕立て上げていく。そこでの主役は「大衆」である、彼らはその「量」によって過密を達成し、新たな「質」を作り出す。
都市に住む大衆は単身者である。複合化された機能はたくさんの都市の住民が共有するダイニングであり、キッチンであり、シアターである。資本主義が行き着いた先が共産主義であったとはそのようなことである。より効率的に、合理的に、より経済的にと考えた結果が相反するものと繋がった。それはプロテスタントの禁欲が経済と繋がったように。
終わりなき変遷の連続を続けるマンハッタンの姿は、一回性の反復を繰り返し続ける永劫回帰の姿そのものである。資本主義に分裂症、ドゥルーズとガタリが紡ぎ出した世界観はレム・コールハウスによって建築化されていく。本書を読んで、改めてS,M,L,XLに出て来るベルリンの壁の文章におけるvoid,solidがなにかを考えさせられた。solidとは理性と知識そのものであり、voidとはまだ人間が制御し切れていない自然の領域であり、同時に人の動物的な側面に訴えかけて人を制御する非常に人工的なものでもある、本書を読んでそのように思われた。