この巻に収録されている件の30話は、原作では丸々1巻分にも及ぶ、鋼屈指の重厚な人気長編です。
それをたった1話で語られた事にはやはり当時から相当に批判の声が多かったように思いますが、
私は視聴後、不思議に「軽くなった!」とは感じなかった事を覚えています。
むしろ、よくぞここまで向き合ってくれた!!とすら思えたほどだったのです。
―原作においての「イシュヴァール戦」。
流れに逆らえず、際限なく悲劇を拡大していく人間達の哀しさと愚かしさ。そしてむなしさ。
原作者自ら戦争体験者の方々に話を聞いて回って描き上げたという、鋼でも人気のエピソード。
でもその実あれは「鋼ではなかったのではないか」と個人的には思うものでした。
描かれていたのは「鋼の一物語」ではなく「戦争」そのもの…「人間」の醜さそのもの。
鋼のキャラ達の頭を飛び越え、実は現実の「私達」へと直接向けられていた、
原作者渾身の、痛烈な「人間批判」「断罪」の物語だったように、思うのです。
それゆえか原作においてイシュ戦は、全てのキャラの根底・地盤に影響を及ぼすものでありながら
本編の流れとの連続性は不思議に薄く、まるで独立した外伝のような異色な構成で作られていました。
―視聴者の「視点」である主人公エドも一切登場しない。しかも漫画と違い読み返しもきかない
アニメという土壌で、このエピソードはまさに鬼門だったでしょう…。
でもアニメ版はこの重い難題に、実に誠実に向き合ってくれたと評価したいです。
「引き金を引けば、必ず人が死ぬ」「これで明日まで生きていけるんだ」「では、この戦いの理由は何だ!」
余裕のない中でも独自に加えられた台詞は、全て違えずそれぞれの人間達の「主観」によるもの。
誰のものでもない各人々の、イシュヴァール戦に対する血の通った思いばかりでした。
それをさらに「過去編」ではなく「ホークアイからエドに語ること」で、
その全員がエドの、私達視聴者の先生になってくれました。
それにどうしても語りきれない物語も、物語の全体のバランスを考慮しつつ10話、22話に先駆け
実は印象的に拾われています。
―鋼FA前半の構成は、この30話を「滞りなく」語りきるため尽力されていたと言っていいのでしょう。
批判を恐れて原作をただそのまま起こして物語を真にグダグダにしてしまうことも、
ただぎゅうぎゅうに圧縮し済ませることもせず、形を変えてでもイシュ戦を、「鋼」を語りつくそうと
真摯に向き合ってくれた事に、むしろ感謝。
何気にとても誠意ある、「もう一つの鋼」の形であったように思います。