昔から電車に乗ると、なぜか運転手さんも駅員さんも時代遅れの大きな懐中時計を持っていた。なぜだろう?と思っていた。
19世紀の終わりにアメリカで起きた事故が原因で「鉄道時計」という規定ができたというのを知ったのはずいぶんあとになってからのことだった。
実はそれはプロフェッショナルだからこその要求仕様を満たすための道具だったからだった。
そしてある日街の時計屋で何気なく手にとった時計、それこそがセイコーの鉄道時計であり、今現在も究極の限界の世界に挑み続けていた、鉄道員が持つそれと全く同じものであると知って驚いたものだ。
それから鉄道時計についていろいろ調べ、その恐るべき要求スペックに驚き、今に至る。
かつて例えばアメリカ軍ではミリタリースペックを決め、それに合格した時計だけを正式採用としていた。
今ではそんなモノはどうやらないようだ。
こんな時代なのに、鉄道時計はその寸法、制度などについて厳密に定められている。
私がこの本を買ったのは、そんな鉄道時計のことをもっと知りたかったからだ。
現状では、鉄道時計がいかに必要なものであるか、それが実感される。
しかし同時に、あとほんの少し未来になれば、鉄道時計も、それどころか鉄道を運用する人間すら必要なくなる、そんな世界が理想像として描かれていることに愕然とした。
セイコーの現行鉄道時計は、もしかすると鉄道時計として世界で最も先鋭化し、それゆえに消えていかざるをえない運命の最先端にあるのではないか。
そんな悲しみを感じた。