なぜ、SF、ファンタジー作品に入浴やお着替えの描写が必要なのか?
SF・ファンタジー作品にとって、有り得ない非現実描写を徹底した現実感を持たせるため
には、それに相当する現実描写が無ければならない。
有り得ない魔法を使おうが、巨大ロボットを操ろうが、そこにいる人間が普通に「生きて
いる」生活描写が必要だからです。
決して、オッパイとお尻を堪能するために必要な物ではない。
(まぁ、堪能できれば、尚良しというのは否定しない)
ラインバレルの作品を全体で捉えた場合、この作品の場合、「ある日、突然、中二病で、
イタイ少年が最強ロボを手に入れてガンガンに暴れまわる」という、非現実を有り得ないにも
限度を通り越したスタートをしている。
起承転結でこれが「起」に該当するなら、此の巻から始まる物は「承」に該当し、この
有り得ない振りに見合うだけの現実感と生活感が描写される必要がある。
どこからどう見ても、描写出来てますので、とりあえず、それだけで最高評価です。
また、主人公の長年の友人が死んだという話数で笑いを取りに行くという制作サイドのある
意味チャレンジャー振りにも恐れ入る。
徹底して「さぁ、悲しいですよ。悲しいです」だけで延々通しても駄目。
それに相当する事が描写されないと意味が無い。
そして、敵の存在から世界観から作品にあるべき方向性を明確にここで描写できているため、
起承転結の「承」として実に良い出来栄えであると考えています。