本書は、この10年に限って言えば、米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋)、佐藤優『獄中記』(岩波書店。現在は同社の現代文庫)ライブラリーに続く読書論の白眉である、とまず言っておきたい。
「はじめに」で鈴木邦男は「右翼・左翼」を超えたと述べているが、私見では本書の読書術は“功利”を超えた、目的としての読書、人生としての読書を打ち立てている。これは最早哲学だと言っても決して大袈裟ではない。
この点では、先にも名前を挙げた佐藤優の『功利主義者の読書術』(新潮社)とは対蹠的な書物であるかに思われるかもしれないが、鈴木個人としては左右を超えるという思想的信念を読書において得たのであるから、その一見迂遠な読書法(全集読破、1ヶ月30冊以上読むなど)は、廻り回って大いに役に立っているのである。
勿論、何を読むかが肝であるにしても。
近年は読書法、読書術の類では、“レバレッジ”だの“超速読”だのの手段一辺倒の“営業出版”(マルクス)が腐るほど出ているが、本書はそれらとはまるで違う。
鈴木は、カントをもじって言うならば(?)、読書を手段としてではなく目的として用いたのである。
思想全集などの全てを読むことで、右翼思想家・活動家の鈴木は、敵(左翼)にも立派な尊敬できる人がいることを腹の底から感得する。それは頭で理解したのではなく、体得したもののように思える。これはブルース・リー風に言うなら「肌でつかんだ」のである。
彼は自らの体験を低く見て、読書を称揚しているのではない。
激しい活動の傍らで、本書に記されたような壮絶な読書を自らに課したのである。その果ての読書観であることは見落としてはならない。鈴木のダンディズムは、軽妙な文体とも併せて、そんな凄惨な姿を片時も見せることはないのだが・・・。
この無惨な世に、時に鈴木が左翼に見えるのは、あるいはその寛容な言論の故であろうか(左翼が寛容ということではない)。
敵を軽んじない、それどころか敬意を持って接するという、現在完全に失われてしまった美学が鈴木には奇蹟的に残っているように思われる。繰り返しになるが、その美学、その信念、その思想を鈴木は読書から学んだようだ。
勝ち組や負け組といった文脈で、対中や対韓、対北といったギロンで、勿論、右翼と左翼で、サッカーや五輪といったスポーツの世界ですら、こういう美学はいまやほとんど見られない。敵に敬意を、敗者に賞賛を・・・・・。それは職場や地域や諸々の人間関係でも失われているように感じるのだ。
だから本書は単なる読書論ではない。
評者は大いに勇気付けられた。それは癒されたというのとは全く違う。読書はそれ自体が目的であってよく、その価値が十二分にあるのだという証明をそこに見るからだ(こう言うとき、評者は決して鈴木の活動の激しさを理解していない。鈴木は普通のサラリーマンとは違うのだ。命が危ない活動を継続しつつ、読書したのである)。
それは生き様であり、目的であり、存在そのものなのだ。
そのうえで、1点疑問を呈す。
中村彰彦著『烈士と呼ばれる男 森田必勝の物語』 (文春文庫) によると、三島由紀夫は森田必勝ら楯の会の若者たちに「本なんか読むな。本なんか読めば、行動が出来なくなる」というようなことを言っていたそうだが、鈴木はこれをどう考えるのか(引用の三島発言は評者の記憶に基づく)?
評者は、三島全集を読破していないし、三島の作家としての力量を完全に理解しているとは言えない。それでも読んだものの中では、『銀閣寺』『仮面の告白』は傑作だと思うし、風俗小説的な結構の作品にも「作家になるために生まれてきた男」という感を抱く。『豊饒の海』は「奔馬」までしか読んでいないと記憶する。
しかし、『文化防衛論』や『憂国』といった著作・作品はよくわからん。
そして何よりも、あの自決が不可解だ。
それにつながるものとして、三島の「本なんか読むな」があったのではないかと評者には思われるのである。これは首尾一貫した自己否定ということなのか? 自己矛盾でもあろう。三島が功利一辺倒な人だとは決して思わないが・・・・。
少なくとも、本書における鈴木邦男の立ち位置は、楯の会での三島とは対極にあると思われるのである。
これは単なる読書に対する考え方の相違なのか? そうではなかろう。読書によって「左右を超えた」思想家鈴木にすれば、この読書観の相違は根本的な相違に思える。
鈴木はどうして三島を尊敬しているのだろうか? とさえ訝られる。
青春の追憶か? それとも「本なんか読むな」というのは、中村彰彦の“創作”なのか?
<人間は考えるために生きているのである>と鈴木は書いているのであるから。(p212)
最後に気付いた範囲の誤植を挙げておく。
●目次、第5章 何を読んだが 一九〇〇・・・は「一九九〇」
●p127 鈴木邦男『がればれ新左翼』は「がんばれ」
増刷時に訂正してください。一気読みさせる熱い本なので、2箇所しか気付かなかった。他にはないのかもしれない。