ドラマ放映が始まる少し前に色々な事があって、そのこと事体今でも全て解決したわけじゃないし、耐えるしかないと思ってる。
でも、関係ないのにわかり易い噂とか自分に都合のいい解釈で人の話も聞かず説教、慰め、糾弾してくる人達に、友人(と思ってた?)までいて、今までの人生は何だったのかと憤りと失望でグチャグチャになりそうだった。
そのせいかドラマにやたらと惹きつけられて、それが最終的に「鈴木裁判」で嘘みたく解けた感覚を覚えてる。
それだけに不安があった。ドラマの反響で有名になり、更に踏み込んでいる原作が一部のフレーズや描写のみ取り上げられたりして、作品の中で生徒達が心配する様な事が現実に起こってしまうんじゃないかって。
鈴木裁判のあとそこにいた全員が口を硬く閉ざしたのは、その「議題」や「内容」は、その裁判の“肝心なこと”を学んだ生徒とか理解者ではなく、理解していない第3者に伝わると歪んだ形で広まりやすいという事がわかっていたからだけど、それはそのままこの作品にも現実的に起こる可能性があるので。
エピソードにもあるけど、一環してこの作品に通じる一つのテーマでもある「酢豚」の論理。
今の“風潮”ではこの作品は「酢豚」であり、同じことが起こるんじゃないかと「心を救ってくれた作品」だけに心配してた。
今でも若干不安だけど、原作が完結してしばらくたったのでちょっと安心。反響が広がってこの作品が歪んで取り上げられて、今は“風潮”が極端に反対側に振れやすいしファンの人まで偏見にさらされたり。
―――と作者でもないのに勝手に心配したけど、ここのレビューやTV東京のドラマサイトの掲示板などを見る限り「捕らぬ狸の」だったかも。
まぁ、どちらにもそれぞれ質の違うアプローチで一部その“第3者のお手本”みたいなカキコミもあるにはある。
でもそれはそれで逆に“鈴木クラスの生徒が心配した事”が始まるきっかけを見事に現実に再現してくれているなぁ。と面白く読んでしまった。
おかげで自分を正当化したいだけで、他人の価値観を否定する人は、その拠り所の頼みの綱であるマジョリティーでありたい為に都合のいい部分を誇張する傾向がある事、自分に起きた事は人のそういう心理が原因だとあらためて学べた。少し経験率上がったかな。
もしかして、鈴木先生のクラスに対する実験は、そのまま作者の社会に対する実験だったりして。
いずれにせよ“おりにふれ”読み返したい素晴らしい挑戦と作品をありがとうございます。