深夜ラジオで「鈍色の青春」を聴いて以来、ずっと彼等の活動が気掛かりだ。
彼等の楽曲は、メロディーから言葉がこぼれ出しながら歩き、立ち止まり、駆け出すような感じで、箱に上手く入らない荷物にイラッとするような、聴いていて違和感があるかもしれないが、しかし、だからこそ、歌詞に無理が無い。
そもそも、イントロがあり、覚えやすいサビを持ってきて、曲のリズムに合わせる為に、歌詞カードを正視すると恥ずかしくなるような「意味不明な英単語」を組み込んでいると、こうはいかないだろう。
画家の松井冬子が、「絵という表現方法が無ければ、自分は死んでいただろう」と語っているように、野弧禅にも、ギリギリの危うさを感じる部分はあるが、同時に、所々で挿入される、若き日の武田鉄矢も逃げ出してしまいそうなほど、「強烈なまでに飄々(ひょうひょう)とした語り」で、世の中なんて、俺なんてこんなもんさ、といって、酒を呑んで寝てしまいそうな気もする。
しかし、実際、世の中なんて、そんなものかもしれないな・・・。
「格差社会のなんたらで」などと言って評論するのは避けたかったので、随分、遠回りをしてしまったけど、彼らが歌う言葉と同じことを感じていても、それを言葉にできない私は、これからも、彼らを見失わないよう、見守っていきたい。