表題も、そして扱っている内容からも、三島の金閣寺と比較されることが多い作品であるが、その意図も内容も全く違う。三島は金閣寺放火事件の真実にはあまり関心がなく、あくまでモチーフとして使い、そこに自分が生涯を通じて求めてきた美の問題を描いた。そして彼の天才は見事な小説を作った。しかし水上が求めたのは、金閣を燃やした僧とその父母の過酷な運命を描きながら、深く共感し、弔うことだった。かつて貧しさの中で僧を目指していた水上は、若い日にこの僧と会っている。この僧の運命を目撃した彼は、この本を書かねばならないと感じたのであろう。文才ということなら、水上は三島には及ばないだろう。しかし水上の描いた現実のあまりの重さの前で、三島の天才が色あせると感じる人は少なくあるまい。水上はこの僧と母の墓を探し求め続けた末に見つける。この本は次の言葉で終わっている。
帰りに村人にきいてみると、母子の墓には、僧形の墓参者はひとりとてないとのことだった。