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金融恐慌とユダヤ・キリスト教 (文春新書)
 
 

金融恐慌とユダヤ・キリスト教 (文春新書) [新書]

島田 裕巳
5つ星のうち 4.8  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容紹介

ウォール街の強欲資本主義の背景にはキリスト教がある。科学を装った金融工学も無根拠な信仰だ。金融恐慌の本質を説く経済の副読本。

内容(「BOOK」データベースより)

グリーンスパンが「100年に1度の危機」と口走ったとき、その脳裏にはユダヤ・キリスト教の終末論があった―。アダム・スミス、マルクス、ケインズなど経済学の巨頭は「神の預言」からいかなる影響を受けていたのか。

登録情報

  • 新書: 248ページ
  • 出版社: 文藝春秋 (2009/12/15)
  • ISBN-10: 4166607278
  • ISBN-13: 978-4166607273
  • 発売日: 2009/12/15
  • 商品の寸法: 17.6 x 11.2 x 1.6 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.8  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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12 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By recluse VINE™ メンバー
形式:新書
これは面白い。この作品は自由だけではなぜいけないのか 経済学を考え直す (講談社選書メチエ)、やFalse Dawn: The Delusions of Global Capitalismと並べて経済学を最初に学ぶ学生にとっての必読本です。というのは、経済学のベースとなるものの考え方並びに型についての見事な解明を与えてくれるからです。日本人にとっては需要供給曲線や市場の自動調節機能やそれ自体を目的とした規制緩和なんて永遠になじむことのできない考え方なのです。経済学者にとって、もっと過激なのは、マルクス経済学と新古典派に代表される近代経済学の本質的な同一性という主張です。そう、どちらも基本的には現実の経済の「一面的」な分析とその道具の呈示にしかすぎないものであり、現実的な政策論としてはどちらも破綻しているのです。つまるところ新古典派経済学は神学(theology)なのです。はっきりしないそして永遠に証明できない存在(市場や絶対的な神)を仮説として仮構して議論を進めていくという演繹的なアプローチはまさにその通りです。そして日本の資本主義においては、「神」が存在しないのです。したがって、本質的な意味での、「強欲」は存在しないのです。ウォール街の金融関係者の顔を見てください。あのようなすさまじい「顔」は日本人には定義上存在し得ないのです。このような経済学の裏面に潜む真実を理解もせず、道具の一層の洗練に勤める学者、このよう特殊な世界観を背後に持つ「神学」の一派が政治的な利害の中で生み出した原理主義的な処方箋を、日本に当てはめようとした「流行の行商人」たちは、ピエロというか悪意のない「悪人」です。このような作品が、経済学者ではなく、宗教学者によって書かれたという事実は重いものがあります。
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2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By
形式:新書
経済思想の背景にあるユダヤ・キリスト教の影響について論じられており、面白い。島田先生が経済思想史に造詣が深いとは知らなかった。一番気になったのは、根岸先生がアダム・スミスの「見えざる手」を「神の見えざる手」と述べているという件であり、私も「見えざる手」は「神の見えざる手」を意味しないという島田先生の意見には賛成であるが、根岸先生が先の考えを如何に採用するに至ったかは非常に興味をもつ点である。
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8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By ib_pata VINE™ メンバー
形式:新書
面白かったのは2ヵ所。

 アダム・スミスが道徳哲学から出発したように、経済では人間の欲望のあり方をどのようにとらえ、それをどこまで抑圧していくのかを問う道徳や倫理の問題が必ずセットになっている、ということを改めて強く指摘していたあたり。経済では金銭が中心的な役割を果たし、そこには人間の欲望が深く関わってくるからということで、経済学を発達させたヨーロッパは、ユダヤ・キリスト教の伝統があり、欲望を抑制することが重視され、ヴェーバーもそういった視点から資本主義の精神が誕生したとみていた、と(pp.148-150)。

 もうひとつは日本論。基本的に無神論的なというか、共同体至上主義的な日本社会では、欧米のように「神の見えざる手」に対する信頼は生まれにくく、また、日本の神話などをみても禁欲的ではない、と。だから、90年代にバブル崩壊を経験した後は、欧米のように「神の見えざる手」に対する信仰などないから、今回のサブプライムローンに関しても比較的傷が浅くてすんでいる、みたいあたり(p.171-)。

 《日本人が信頼を寄せることができるのは、目に見えない神ではなく、人であり、物である》《(ヒルズ族などの)若い世代が断罪されると、それに納得し、自分たちの感じた疑いや不安には十分に根拠があったと感じるようになっていった》(p.227)。
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