人物設定として、ヒロインのエレオノーラに毒=違和感がありすぎて感情移入仕切れなかったのが消化不良の最大の原因でしょうか。
銀英伝では、人柄にふさわしい結末を与えることで、毒を消化し、フィクションとしての楽しさを保っているのですが。
「目的のために手段を選ばず」は、ヤンがラインハルトを倒す決断は許されるけど、
単なる復讐のためには許されないのではないかと。
人間として現実に近づいたことで、娯楽としての虚構の約束を破ってしまった感じです。
フィクションの中では、ラインハルトのように、復讐と野心と改革がそろってないと、
エレオノーラの中にある、オーベルシュタインの様な「目的のために手段を選ばず」というのを受け容れ難くなります。
ただ、ジェラルドの造形には、フィクションとしてのリアルを感じます。
美男子なのはどうでも良いですが、
無限の優しさと戦上手はスキピオの、女が寄ってくるのとやはり戦上手はスッラの足し算でしょうか。
経済の感覚と理解は、電磁気学のファラデー(数式を多用せずに電磁気学を表現した人)の直感とヘルツ(マックスウェル方程式を完成させた人)の美学を感じます。
寡兵を持って、急所を直撃するのは、奔流の陳慶之あたりか。
がつがつとした野心を持たせないことで、カエサルの様な厭らしさは無く、アレだけ女を食ってるのに、不潔を感じさせない人柄になっています。
ジェラルドには死に際して、子孫を残させ、人柄にふさわしい散り際だったのも良かったですね。
ちなみにイタリア語でジェラルドは英語に読み替えるとジェラードになります。
カルパチアのジェラード・アッテンボローの様な粋がどこかしらありますね。そんなつながりも素敵でした。